ベルナルディーノはフィレンツェのサン・フレディアーノ地区に生まれた。ミケーレ・トシーニの工房で修練し、1570年にはアカデミア・デル・ディゼーニョに入会した。この年から1580年頃まで、彼はファサードの装飾に特化し、Bernardino delle Facciate、Bernardino delle Grottesche、Bernardino delle Museなどと呼ばれるようになる。彼の初期作品はビアンカ・カッペッロの邸宅やピッティ宮殿に見ることができる。
1585年から1590年に制作されたla compagnia della Santissima Annunziataのフレスコ画の中では、デューラーの版画を知っていたことを示している。
1589年Santa Felicita聖堂のCanigiani礼拝堂のMiracolo della Neveのフレスコ画は、彼の様式の円熟を示しており、アレッツォ市立美術館のAndata al Calvarioと、Casa Vasariの≪最後の晩餐≫もその時期の作品である。
1590年代はチェルトジオ会の聖人伝記作家となり、フィレンツェ、シエナ、ピサのチェルトジオ会修道院に装飾を行い、明白で庶民的な絵画表現によって、対抗宗教改革により支持された礼拝プロパガンダの要求に即した作品を制作した。フィレンツェのチェルトジオ会のアプシスには、1591年から93年にかけて、≪聖ブルーノの生涯≫をフレスコ画で描き、1597年からは、Cappella delle Reliquieの天井を装飾した。シエナのチェルトジオ会修道院では、1597年に≪最後の晩餐≫を描き、1598年にはピサのチェルトジオ会修道院の食堂に同主題をフレスコ画で描いた。
フィレンツェのSanta Maria Maddalena de’Pazzi教会のジリオ家礼拝堂の装飾はポッチェッティの傑作である。広々として自然な配置(構図)、のびのびとして堂々とした人物像、アンドレア・デル・サルトやシエナのヴァンニ、サリンベーニを思わせるやわらかな衣襞である。
彼の生涯の最後の10年間の彼の猛烈な活動については同時代人の称賛が物語っており、Santa Maria degli Angeli教会のchiostro della Sagrestiaの9つのルネット(1601年)、ピストイアのSantissima Annunziata教会の装飾、フィレンツェのSan Marco教会の装飾(1602年)、フィレンツェのSantissima Annunziata教会の大キオストロの装飾がある。