初代ランカスター公ヘンリー・オブ・グロスモント(英語: Henry of Grosmont, 1st Duke of Lancaster, KG、1310年頃 - 1361年3月24日)は、イングランドの貴族。
経歴
1310年頃、ヘンリー3世の孫である第3代ランカスター伯ヘンリーとその妻モード・チャワース(英語版)の間の長男として生まれる[1][2]。
1337年3月16日にはダービー伯に叙され、さらに1345年9月の父の死で第4代ランカスター伯と第4代レスター伯を継承した[3]。父から三伯領を継承したのに加えて伯母アリス・ド・レイシー(英語版)(伯父の2代伯トマスの妻)からリンカーン伯領を継承し、1349年8月20日にはリンカーン伯に叙されている[2][3]。またスコットランド戦争や百年戦争で戦功をあげたため、1351年3月6日にランカスター公に叙された[2][3]。これは1331年創設のコーンウォール公位に続く2度目の公爵位創設だった。
また1348年にガーター騎士団が創設された際にその最初のメンバーの一人となった[3]。
しばしば外交使節も務め、1343年には教皇とカスティーリャ王国への、1354年にはナバラ王国への使節を務めた。また1360年のブレティニー条約締結にもイングランド側代表として大きな貢献をした。
宗教書『セインツ・メディシネスの書』(Livre de seyntz medicines)の著者としても知られる。
1361年3月24日にレスター城(英語版)で死去した[3]。娘が2人あったが、長女モード(英語版)は子供のないまま1362年に死去したので、次女ブランシュを通じてジョン・オブ・ゴーント(エドワード3世の四男)に所領とランカスター伯位、レスター伯位、ダービー伯位が継承された。
家族
1337年頃にイザベラ・オブ・ボーモント(英語版)(ヘンリー・ド・ボーモント(英語版)の娘)と結婚。彼女との間に以下の2女を儲けた[3]。
出典
参考文献