1872年頃のヘルメスベルガー四重奏団。ハインリヒ・レーファー、ヨーゼフ・ヘルメスベルガー1世、ジギスムント・バハリヒ、ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世
ヘルメスベルガー四重奏団 は、1849年にウィーン で結成された弦楽四重奏団 。ヨーゼフ・ヘルメスベルガー1世 が創設したこの楽団は、固定の名前を冠した初の弦楽四重奏団だった。
構成
ヴァイオリニストのレオポルト・ヤンサ が1845年に弦楽四重奏団を組織した。1849年にヘルメスベルガーがヤンサの跡を継ぎ、他の団員はそのまま残った[ 1] 。最初のメンバー編成は次の通り。
この四重奏団の構成は「1860年代半ばまで非常に安定」していた[ 2] 。
ある時の編成は次のようだった。
ヘルメスベルガーの息子であるヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世 が1870年に同団に加盟して第2ヴァイオリンを担当、1887年に楽団長となった。
ヘルメスベルガー1世の息子で2世の弟であるフェルディナント・ヘルメスベルガー も1883年に入団、チェロを担当した。
影響
この四重奏団はベートーヴェン 、シューベルト 、ブラームス の作品の演奏を通じて、ウィーンの音楽界で重要な役割を果たした。シューベルトやブラームスの作品では幾度か初演も務めている[ 1] 。
1881年に書かれたドヴォルザーク の弦楽四重奏曲第11番 作品 61はヘルメスベルガー四重奏団の委嘱により作曲された作品である。
1849年11月4日に開催されたデビューコンサートのプログラムには、ハイドン の弦楽四重奏曲第77番 、ルイ・シュポーア のピアノ三重奏曲 イ短調 作品124、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第7番 が選ばれた。
出典
^ a b 外部リンクにあるヘルメスベルガー一家の伝記より
^ a b Potter, Cambridge Companions to Music|The Cambridge Companion to the String Quartet , p.44
参考文献
外部リンク