ブルーノ・ジュンケイラ (Bruno Junqueira, 1976年11月4日 - ) は、ブラジルのレーシングドライバー。ベロオリゾンテ出身、IRLインディカー・シリーズに参戦していた。国際F3000のチャンピオンおよびチャンプカー・ワールド・シリーズで3年連続シリーズランキング2位であった。
レース経歴
初期
ジュンケイラはそのレース経歴をブラジル国内のカートレースから始める。フォーミュラ3スダメリカーナを制し、国際F3000にステップアップした。彼はウィリアムズF1チームで数年間テストドライバーを務め、2000年にはレギュラーシート獲得の寸前までいったが、ジェンソン・バトンに破れシートを得ることはできなかった。この苦い経験にもかかわらず、その年の国際F3000選手権でタイトルを獲得した。
チャンプカー
2001年、ジュンケイラはチップ・ガナッシ・レーシングに加わりCARTシリーズに参戦、14戦目にして優勝し、翌シーズンには2勝を挙げてシーズン2位となる。2003年にチーム・ガナッシはIRLに転向したため、ジュンケイラはチャンプカーにおけるトップチームの一つ、ニューマン・ハース・レーシングに移籍した。移籍の2003年、その翌年の2004年と連続してシリーズ2位に入る。彼はまたインディ500にガナッシから2回、ニューマン・ハースから2回参戦した。2002年にはポールポジションを獲得、2001年と2004年にそれぞれ5位に入賞した。
2005年、ジュンケイラはインディ500でA.J.フォイト4世をラップする際の事故で負傷した。その負傷が原因で2005年の残りシーズンは欠場することとなった。当時ジュンケイラは2戦目のメキシコで優勝し、ポイントリーダーであった。代役としてベテランのオリオール・セルビアが参戦することとなり、彼はシーズン2位を獲得した。
2006年、ジュンケイラはニューマン・ハースに復帰したが、チームメイトのセバスチャン・ボーデが三年連続のタイトルを獲得した一方で、初めてシーズン未勝利となりシリーズ5位でシーズンを終えた。2007年はニューマン・ハースのシートをルーキーのグラハム・レイホールに奪われることとなり、ジュンケイラはデイル・コイン・レーシングと契約、未熟なキャサリン・レッグがチームメイトとなった。彼はシーズン後半に3戦連続で表彰台に上り、シーズンを7位で終えた。
インディカー
2008年シーズン前にチャンプカーは対抗するIRLと合併した。ジュンケイラは新シリーズにデイル・コイン・レーシングから18号車を駆って参戦、チームメイトはブラジル人ルーキーのマリオ・モラエスであった。その年のインディ500ではミラーが外れて修理のため3ラップを要したため高成績を挙げることはできなかった。シーズンも成功とは言いがたく、ロードコースで二度のトップ10に入っただけと、シリーズ20位でシーズンを終えた。
2009年はレギュラーシートを失い、コンクエスト・レーシングからインディ500に参戦、バンプ・デイに予選出場したものの、チームのレギュラードライバー、アレックス・タグリアーニが技術的トラブルで予選落ちしたため彼と代わって欲しいと頼まれ本戦に出場することはできなかった。
2011年はA.J.フォイト・エンタープライゼスからインディ500に参戦、予選19位となったがこの年も本戦に出場することはできなかった。フォイトはスポンサーなしのエントリーをアンドレッティ・オートスポーツに売却、ライアン・ハンター=レイが彼に代わって本戦に出走した[1]。
記録
* 他のブラジル人ドライバーのポイントも含む。
国際F3000選手権
アメリカン・オープンホイール
CART/チャンプカー・ワールド・シリーズ
- ^ 2004年以降は新ポイントシステム。
インディカー・シリーズ
- 1 同日に開催された
- 2 ノンタイトル戦
年
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チーム
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出走数
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ポールポジション
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勝利数
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表彰台 (勝利以外)**
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トップ10 (表彰台以外)***
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インディ500勝利数
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チャンピオン獲得数
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6
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4
|
22
|
1
|
0
|
0
|
4
|
0
|
0
|
インディ500
アメリカン・ル・マン・シリーズ
A1グランプリ
参照
外部リンク