発電所の建設はクラーク・チャップマン(英語版)、ヘッド・ライトソン(英語版)、パーソンズ、A・レイローリー(英語版)、ストラチャン&ヘンショー(英語版)、ウェッソー(英語版)等からなる、原子力プラント社(Nuclear Power Plant Company、NPPC)として知られるコンソーシアムによって行われ[1]、1957年12月に建設を開始、1962年に発電を開始した。2基のマグノックス炉からなり、設計出力は300MWであったが、原子炉内部の軟鋼部材の酸化による剥離の発見によって正味出力は合計242MWに減らされた[2]。最高時点での出力は1960年代の初めに達成され、設計出力より10%近く高くなった。通常の日であればチェルムスフォード、コルチェスター、サウスエンド=オン=シーの3都市を纏めた程度の需要に十分な電力を供給できた。原子炉は原子力グループ(The Nuclear Power Group)が供給し、9基のタービンと12機のガス循環器はパーソンズが供給した[3]。うち6基のタービンが送電網向けの発電向けに、3基が補助タービンに、2基がそれぞれの原子炉のガス循環器への電力供給に、1基がスタンドバイ補助タービンに利用されている。
1966年、20本の天然ウラン燃料棒がブラッドウェルから盗まれた[7]。燃料棒盗難はその潰し値の高さから原子炉労働者であったハロルド・アーサー・スニース(Harold Arthur Sneath)によって行われた。
犯人は燃料棒を最終目的地に移動させている途中、地元警察によって運転の問題で止められたデニス・パトリック・ハドレー(Dennis Patrick Hadley)のバンの中から発見された。燃料棒が発見された後、スニークとハドレーは裁判で5年以上の拘束を受け、裁判費用に貢献する必要としてそれぞれ£100の罰金を科された。どちらも盗難の影響を理解していたとは言わなかった[8]。