フリスパ(ギリシャ語:Χρύσπα / Chrispa)、本名:フリサンシ=パゴナ・ピトロプル(Χρυσάνθη Παγώνα Πυτιροπούλου / Chrisanthi-Pagona Pitropoulou、1982年12月7日 - )は、ギリシャ・アテネ出身の歌手である。
出自
フリサンシ=パゴナ・ピトロプルとして、1982年12月7日にギリシャの首都アテネで生まれた[1][2][3][4]。5歳のときにピレウスに移り、同地で音楽やダンスの経験をつみ始める。はじめは歌手になるつもりはなく、バレエを好んでいた[5]。13歳の頃、背が低かったことなどからバレエをやめ、学校で音楽を学び始め、歌唱やピアノ、ギターなどを習った[2][5]。
歌手としてのキャリアの原点は18歳の頃であり、アイギナ島での夏のコンサートでソフィア・ヴォッスー(Sophia Vossou)と歌った。ヴォッスーはフリスパの声を高く評価し、これがきっかけとなってアルファ・レコーズとの契約に至った[5]。その能力はすぐに発揮され、スタマティス・ゴンディス(Stamatis Gonidis)やランビス・リヴィエラトス(Lambis Livieratos)、セミス・アダマンティディス(Themis Adamantidis)などの有名歌手のコンサートで歌うようになった[2]
音楽キャリア
2003年 - 2007年
2003年、21歳の時にアルファ・レコーズから初のアルバム『Tora』が発売された。アルバムからの最初のシングル「Esena Thelo」はヒット曲となり、音楽ビデオやリミックスも製作された[5]。2枚目のアルバムはセルフ・タイトルの『Chrispa』であり、2004年にMinos EMIから発売された。
2005年にはMinos EMIより再パッケージ版のアルバム『Chrispa 100%』が発売された。このアルバムには最初の2枚のアルバムに収録されたヒット曲に加えて、1つの新曲「Mou Kani Plaka O Theos,」が収録され、更にリミックス版や音楽ビデオクリップを納めたDVDも同梱された。このアルバムには、「An Den Ipirhes」や「Savvatokiriako」、「Fevgo Gia To 7」、「I Kolasi Eimai Ego」「Pali Tha Peis Signomi」などのラジオ・ヒット曲も収められている[5]。またこの年の夏にはジオルゴス・ツァリキス(Giorgos Tsalikis)やコンスタンディノス・フリストフォルー(Constantinos Christoforou)ら、冬にはエリ・コッキヌーやアンドレアス・スタモス(Andreas Stamos)、コンスタンディノス・フリストフォルー、カロミラ(Kalomoira)らと共演した[5]。
2006年と2007年には更に2枚のアルバム、『Posa Hrostao』と『Kathreftis』がそれぞれ発売された[6]。後者からの最初のシングル「Mia Stigmi」も音楽ビデオクリップが製作された。
2008年以降
2008年には、ユーロビジョン・ソング・コンテスト2008のギリシャ代表選考に挑んだ[7][8][9]。国内選考に参加した楽曲はマリオス・プシモプロス(Marios Psimopoulos)が作曲し、アントニス・パパス(Antonis Papas)が作詞した楽曲で、「SOS For Love」という仮題が付けられたが[10]、後に曲名は「A Chance to Love」へと変更された[11]。楽曲は民俗風のもので、「オリエンタル・ダンス」と形容された[12]。歌詞はギリシャ語と英語の両方が使われていた[11]。
2008年2月27日の決勝戦では、決勝まで残った3人うち最初に登場して「A Chance to Love」を歌ったが、視聴者投票のうち15.9%の得票率で3位に終わった[13]。コスタス・マルティカス(Kostas Martakis)が2位、1位となったカロミラ(Kalomoira)の「Secret Combination」はユーロビジョン2008では3位に入賞した[12]。
2009年10月6日、フリスパの5枚目となるスタジオ・アルバム『Mehri Edo』が発売された。アルバムには、ステファノス・コルコリス(Stefanos Korkolis)作曲、レベッカ・ルッシ(Rebecca Roussi)作詞による11曲の新曲が収録された[14]。
ディスコグラフィー
アルバム
CDシングル
- 2004年: "Mou Kani Plaka O Theos"
- 2007年: "Diki Sou Gia Panta" (Remix)
- 2008年: "A Chance to Love"
脚注