フランソワ=アンドレ・ヴァンサン(François-André Vincent、1746年12月30日 - 1816年8月4日)はフランスの画家である。
略歴
パリで生まれた。父親のフランソワ=エリ・ヴァンサン(François-Élie Vincent:1708-1790)はミニアチュールの画家で[1]、フランソワ=アンドレ・ヴァンサンは父親から美術を学んだ後、宮廷画家のジョゼフ=マリー・ヴィアンの弟子となった。1768年にローマ賞を受賞し、1771年から1775年までイタリアに留学した。1777年に王立絵画彫刻アカデミーの会員に選ばれ、サロン・ド・パリには常に出展した。
1790年に女流画家のアデライド・ラビーユ=ギアールと結婚した。1790年に国王、ルイ16世の宮廷画家になり、1792年に王立絵画彫刻アカデミーの教授に任じられた[2]。ヴィアンのもう一人の弟子、ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825)とともに新古典主義の潮流を代表する画家となった。フランス革命により、王立絵画彫刻アカデミーが廃止された後、1895年に設立された芸術アカデミーの設立メンバーであった[3]。フランス第一帝政のもとでダヴィッドがナポレオンの庇護を受けて華々しく活躍したのに比べて、晩年は健康の問題もあり作品の製作は少なくなった。
作品
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『高等法院長モレと反徒たち』
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『ギリシャの司祭』
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ジョルジュ・キュヴィエ(博物学者)
ヴァンサンに学んだ学生
ヴァンサンに学んだ学生には以下のような画家がいる。
参考文献
- ^ « François-André Vincent » [archive], Extrait de la notice dans le dictionnaire Bénézit, sur Oxford Index, 2006 (ISBN 9780199773787)
- ^ Frédéric Chappey, « Les Professeurs de l'École des Beaux-Arts, (1794-1873) », dans Romantisme, no 93, 1996, p. 95-101.
- ^ Cuzin, Jean-Pierre (2013). François-André Vincent: Catalogue raisonné de l’œuvre (フランス語). Paris: Arthena. p. 20.