ファヒド・ベン・ハルファラー(アラビア語: فهيد بن خلف الله, ラテン文字表記: Fahid Ben Khalfallah, 1982年10月9日 - )は、フランス・ペロンヌ出身の元チュニジア代表サッカー選手。現役時代のポジションはMF。
経歴
フランス時代
チュニジアのメサーディン(英語版)から移住してきた両親の下に生まれる。6歳の頃からサッカーを始め、ユース時代は2001年までCAFCペロンヌに所属し、フランスアマチュア選手権2(英語版)のカテゴリーでプレーしていた。
2001年にリーグ・ドゥのアミアンSCと契約を結び、ここで4シーズン過ごした。最後のシーズンは、怪我により14試合の出場に終わった。2005年にスタッド・ラヴァルへ移籍。しかしチームは3部に降格となり、翌シーズンから2部への復帰を目指したが失敗に終わった。
その後、大学でスポーツマネジメントの学位を取得した。2007年にアンジェSCOに入団すると安定したパフォーマンスを披露。その活躍から冬の移籍市場では、オリンピック・マルセイユやASサンテティエンヌといったリーグ・アンの幾つかのクラブの目に留まった。2008年1月17日に残留の意思を示したが、来夏の移籍を見据えアフリカネイションズカップ2008への参加辞退の表明も行った[1]。この決定は、多くの波紋を呼び批判を集めた。クープ・ドゥ・フランスのOGCニース戦では、リーグ・アンの格上が相手ながら16分の間に2ゴールを決める活躍を見せた。自身はリーグ・ドゥの最優秀選手に選ばれるだろうと語っていたが、最終的にトロフェ・UNFP・デュ・フットボールからベストイレブンに選ばれた。
所属はアンジェのままで新シーズンを迎えたが、2008年8月にリーグ・アンのSMカーンへ移籍金200万ユーロで加入。8月16日のヴァランシエンヌFC戦(3-1の勝利)で同クラブデビュー、9月14日のASサンテティエンヌ戦(2-0の勝利)で初ゴールを挙げた。シーズンの結果クラブがリーグ・ドゥへ降格したため、2009年6月11日にヴァランシエンヌと3年契約で移籍した[2]。
2010年8月26日にFCジロンダン・ボルドーへ400万ユーロの移籍金で加入した[3]。前エースのヨアン・グルキュフが付けていた背番号8を継承した。出場16試合目のサンテティエンヌ戦で初ゴールを決めた。
2014年1月28日、トロワACに移籍した[4]。
オーストラリア時代
2014年9月18日、メルボルン・ヴィクトリーFCに移籍した[5]。2014-15シーズンにはAリーグとFFAカップ制覇に貢献。同クラブではカップ戦含め計76試合に出場し、12ゴール16アシストを記録した。
2016-17シーズン終了を以てメルボルンを去ると、トーマス・ブロイヒの後釜として2017年5月26日にブリスベン・ロアーFCと1年契約を結んだ[6]。
代表歴
2008年9月6日のブルキナファソ戦でデビュー。10月11日のセーシェル戦(5-0で勝利)で初ゴールを決めた。
2009年12月29日、アフリカネイションズカップ2010でのプレーを拒否。この行動にチュニジアサッカー連盟は、FIFAに制裁措置を求めた[7][8][9]。こうした行動にも関わらず、これ以降も定期的に招集されている。
タイトル
クラブ
- ボルドー
- メルボルン・ヴィクトリー
- Aリーグ・チャンピオンシップ : 2014-15
- Aリーグ・プレミアシップ : 2014-15
- FFAカップ : 2015
個人
脚注
外部リンク
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2000年代 | |
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2010年代 |
- 10-11: バルバルセス, クルーズ, ファン・ダイク
- 11-12: アイフィル, トンプソン, ベリーシャ
- 12-13: ブロッキー, ロハス, デル・ピエロ
- 13-14: タガート, ベリーシャ, ウィリアムス
- 14-15: ベン・ハルファラー, ヤンコ, バーンズ
- 15-16: マクラーレン, フォルナローリ, ノヴィロ
- 16-17: ロハス, カストロ, ベリーシャ
- 17-18: ミェジェイェフスキ, ヘオルヘ, ボボー
- 18-19: イコノミーディス, トイヴォネン, クリシュナ
- 19-20: ベリーシャ, マクラーレン, ル・フォンドル
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2020年代 | |
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MVP - 得点王 - ベスト11(GK - DF - MF - FW) |