ピードモントの戦い(ピードモントのたたかい、英: Battle of Piedmont)は、南北戦争中の1864年6月5日、バージニア州オーガスタ郡ピードモント村で、デイビッド・ハンター少将の指揮する北軍と、ウィリアム・E・"グランブル"・ジョーンズ准将の南軍が対戦した戦闘である。激戦が行われた後で、ジョーンズが戦死し、南軍が潰走した。ハンターは6月6日にスタントンを占領し、間もなくリンチバーグへの進軍を始め、その途中で軍事物資や公共資産を破壊した。
ジョーンズは下馬騎兵、予後兵など選抜の大隊を左翼の前数百ヤード前進させ、騎馬砲兵隊の一部に支援させたのでスターヘルの前進が止まった。ジョーンズはスタントン道路からミドル川の高い崖に向かう植林地の端に沿って歩兵2個旅団を配置し、左翼を固めさせた。インボーデンにはその騎兵隊で最右翼を守るよう命令した。インボーデン隊の直ぐ左には、ジョン・C・ボーン准将のテネシーとジョージアの下馬騎兵旅団が配置に就いた。ボーンの左翼はジョーンズの右翼の後方600ヤード (540 m) にあり、その前線中央に隙間が生じていた。ジョーンズはそこにオーガスタ郡出身の17,8歳の兵士を宛てたマーキス大尉の予備砲兵隊など、2個砲兵隊を配置した。
ハンターの参謀長であるデイビッド・ハンター・ストロザー大佐は戦場の様子を次の様に記していた。
敵の陣地は強固であり、うまく選定されていた。前面の開けた穏やかな斜面の間にある谷を見下ろす林のある丘陵に配置されていた。我が軍の右翼、ピードモント村の前に丸太とレールの防衛線があり、林の縁で、滑らかに盛り上がって開けた丘陵の背後に位置して大きな長所があったので、この丘の上を動く兵士は近距離の工作物からマスケット銃弾で圧倒することができ、敵の大砲を使うことを妨げることもできた。この防柵の左手は、60フィート (18 m) もの高さがある険しく登攀不可能な崖があり、その麓はシェナンドー(ミドル川)で洗われていた。
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