イギリス海軍のリヨン中尉(George Francis Lyon)のアフリカ地中海岸のトリポリからアフリカ内陸部のボルヌ帝国へ到達しようとする試みが失敗した後、イギリス政府は2回目の探検隊を組織し、殖民地大臣のバサースト伯爵はオードニーをボルヌ帝国との通商交渉する領事に任命し、クラッパートンも同行することになった[1]。1822年の初め、トリポリから南下し、現在のリビア南西部のムルズクに至り、そこで探険家のディクスン・デナム(Dixon Denham)と合流した。1822年9月末にムルズクから南下を始めるが、クラッパートンとデナムは感情的に対立し、デナムはクラッパートンを中傷する報告を行った[2]。
1823年2月17日に、ボルヌ帝国の首都クカ(現在のナイジェリアのクカワ)に到着し、スルタンのSheikh al-Kaneimiに歓迎された。一行はチャド湖を見た最初のヨーロッパ人となった。クカ滞在中に、クラッパートンとオドニーは、デナムと別れ、ニジェール川の探検を行った。デナムは、チャド湖岸を探検しるために残った。数週間後、オドニーが病死するが、クラッパートンは単独で探検を続けた[3]。1824年8月にクカを離れ、1825年1月末にトリポリに戻った。1825年6月にイギリスに戻り英雄としてたたえられた。1826年に旅行記"Narrative of Travels and Discoveries in Northern and Central Africa in the years 1822 - 1823 and 1824"が出版された。
Clapperton, H. (1826). Difficult and Dangerous Roads - Travels in Sahara and Fezzan, 1822-1825. Eds. Bruce-Lockhart, J. & Wright, J. Sickle Moon Books, London. ISBN 978-1-900209-06-9
Denham, Dixon; Clapperton, Hugh; Oudney, Walter (1926). Narrative of Travels and Discoveries in Northern and Central Africa: In the Years 1822, 1823, and 1824 (2 volumes). London: John Murray Scans: Volume 1, Volume 2