バー・ウ(Ba U、ビルマ語: ဘဦး、発音 [ba̰ ʔú] バ・ウー、1887年5月16日 - 1963年11月9日)は、ビルマ(ミャンマー)の政治家・弁護士。1948年から1952年までビルマ最高裁の首席判事をつとめ[1]、1952年3月13日から1957年3月13日までビルマ連邦2代大統領に就任した。
経歴
生い立ちと教育
1887年5月16日、イラワジ・デルタ(英語版)のパテインで、父ウー・ボーフラ(ဦးဘိုးလှ; U Poe Hla)と母ドー・ニュン(ဒေါ်ညွန့်; Daw Nyunt)の間に生まれた[2]。国立ラングーン高校(Rangoon Government High School)の大学進学クラスを経て、1907年にケンブリッジ大学に留学する。法学を専攻し、1912年に卒業した[3]。1950年代初頭に、ラングーン大学(英語版)に文学の名誉博士号を授与された[3]。
キャリア
1913年から1912年まで、ラングーンで弁護士として働いていた。1921年には郡判事(discrict judge)となり、1932年よりラングーン高等法院の判事となる。1948年から1952年までビルマ最高裁の首席判事をつとめた。1947年にはナイトを叙任される。英領ビルマ・日本占領下のビルマ・独立後のビルマのすべてで判事として活動した[2]。また、ビルマ連邦の独立時、憲法起草にかかわった[4]。
反ファシスト人民自由連盟(AFPFL)の党員であり[2]、1952年3月13日、ビルマ連邦初代大統領サオ・シュエタイッに代わり、2代大統領として宣誓をおこなった。1957年3月13日まで、5年間大統領職を務めた[4]。1958年に自伝である Ba, My Burma: The Autobiography of a President を出版した[2]。
参考文献