ハーバート・ターナー

ハーバート・ホール・ターナー(Herbert Hall Turner 、1861年8月13日 リーズ - 1930年8月20日 ストックホルム)は、イギリス天文学者地震学者

天文学に使われる「1 天文単位が1の角度を張る距離」の単位の名称として parsec(パーセク)を提唱した[1]。国際的な天文学プロジェクトのリダーとなった。1897年王立協会フェロー選出。ケンブリッジ大学で学んだ後、グリニッジ天文台で働き、その後、オクスフォード大学の天文学教授になった。

1918年から地震学の分野で研究し、1922年、深さ100km以上の場所で起こる深発地震を発見した。1927年、ブルース・メダル受賞。

ターナーは、他界する直前の1930年に発見された冥王星に Pluto という名前が付けられるきっかけを作ったことでも知られる。オクスフォード大学ボドリアン図書館の元司書ファルコナー・マダンの孫娘ヴァニーシア・バーニーは、発見されたばかりの新惑星に冥界の神の名前にちなむPlutoという名称を思いついた。マダンからこのアイディアを伝え聞いたターナーがローウェル天文台にいる同僚に電報で伝えたところ、発見者トンボーの大いに気に入るところとなり、新惑星の名称として採用されることとなった。

小惑星(1186) ターネラ[2]および月のクレータ「ターナー」に名を残す。

関連項目

脚注

  1. ^ Dyson, F. W. (1913-03-14). “The Distribution in Space of the Stars in Carrington's Circumpolar Catalogue”. Monthly Notices of the Royal Astronomical Society (Oxford University Press (OUP)) 73 (5): 334-342. Bibcode1913MNRAS..73..334D. doi:10.1093/mnras/73.5.334. ISSN 0035-8711. 
  2. ^ (1186) Turnera = 1919 SE = 1929 PL = 1930 UO = 1930 WL = 1932 CC”. MPC. 2021年8月15日閲覧。

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