ハンス・ロット (Hans Rott, 1858年 8月1日 - 1884年 6月25日 )は、オーストリア の作曲家 。生前は恩師アントン・ブルックナー や学友グスタフ・マーラー から高く賞賛されており、ブルックナーはいつしかロットが大収穫をもたらすことを信じていた。マーラーは《交響曲第1番 》において、ロットの交響曲から引用を行なった。ロットは、作曲家としては習作的な管弦楽曲 を残したに過ぎないとされ、長らく無名の存在であったが、没後100年を機に研究者により作品が発掘されて徐々に世に知られるようになり、2000年代以降 しばしば演奏の機会を得るようになっている。
人物・来歴
生い立ち
ウィーン 近郊のブラウンヒルシェングルント(Braunhirschengrund)出身。母マリーア・ロザリナ・ルッツ(1840年 - 1872年 )は、美貌で人気の女優 ・歌手 であり、わずか17歳のとき、年長のウィーン の喜劇俳優 カール・マティアス・ロット(1807年 - 1876年 )と不倫 の末に妊娠し、18歳で出産した。ロットの両親が結婚するのは、父親が先妻と死別した1862年 になってからであり、それまでロットは認知されず、公式に母親の私生児 として育てられた。ちなみに「ロット」(Rott )というのは父親の芸名であり、本名は「ロート」(Roth )であった。母親の死から2年後、父親は舞台の事故で障害者 となり、その2年後に世を去った。
学生時代
両親を喪ってからもウィーン音楽院 で学業を続け、ピアノ をランツクローン 、和声法 をグレーデナー 、対位法 と作曲 をクレン に師事した。幸いにも、その技量と経済的な困窮が認められ、学費納入を免除された。在学中に、一時期クシジャノフスキー やマーラー と同居していたことがある。
1874年 よりオルガン科でブルックナー にオルガン 演奏を師事、1877年 に同科を修了した。ブルックナーによると、ロットはバッハ を巧みにこなし、即興演奏 は見事であったという。当時の青年音楽家が避けられなかったように、ロットもワーグナー の楽劇 に感銘を受け、1876年 の第1回バイロイト音楽祭 に出席してすらいる。
その頃ロットは、ウィーンのマリア・トロイ教会のオルガニスト を務めていた。1878年 、音楽院での最終年次に、音楽院での作曲コンクールに《交響曲第1番ホ長調 》の第1楽章を提出するが、ブルックナーを除いて多くの審査員は、これを却下し、中には嘲笑する者さえいたと伝えられる。1880年 に交響曲を完成させると、ロットはこれを指揮者ハンス・リヒター とブラームス の2人に見せ、演奏してもらおうとかけ合った。だがこれは失敗に終わる。ブラームスは、ブルックナーが音楽院の若者に大きく影響していることを好ましからぬ思いでおり、あまつさえロットに、どうせ才能は無いのだから、音楽を諦めるべきだとさえ言い切った。不幸なことに、ロットはマーラーの堅忍不抜の精神を持ち合わせておらず、マーラーが生涯において数々の困難に打ち勝つことが出来たのに対して、ロットは精神病 に打ちひしがれてしまう。
ロットは音楽教師として自活するため、アルザス のミュールハウゼン(現ミュルーズ )の学校に赴任することになっていたが、1880年 、まさに旅立とうとするその日に、汽車 の中で「ブラームスが爆弾 を爆発させた」などとあらぬ妄想 を口走り、そのまま精神病院 に収容された。一時的に回復して、室内楽曲の作曲に着手したこともあったものの、やがてうつ病 に落ち込むようになる。1883年 末の診察カルテによると、「幻覚症 を伴う精神異常 、被害妄想 。もはや快復の見込み無し」とある。何度かの自殺企図 の末、1884年 に結核 により他界、25歳没。亡骸はブルックナーを含む親しい知人に見送られ、ウィーン中央墓地 に葬られた。
作品
ロットの友人たちのおかげで、自筆譜のいくつかはウィーン国立図書館 (英語版 ) の音楽資料室の中に保存された。《交響曲第1番ホ長調 》や、未完成に終わった《交響曲第2番》のスケッチ などもその1つである。《交響曲第1番ホ長調》は、マーラーの音楽の特色のいくつかの先触れとなっており、それゆえに際立っている。とりわけ第3楽章はマーラーのスケルツォ に酷似している。終楽章では、ブラームスの《交響曲第1番 》にそっくりな主題が登場する。
マーラーはロットの歌曲 についても好意的に述べたが、近年になってようやく数曲が発見された。《弦楽六重奏曲 》も作曲したが、散逸したらしく、マーラーはそれを知らなかった。ロットは大量に作曲したものの、こんなものは価値が無いと言って書いたものの多くをすぐに破棄してしまった。
ロットの才能に最初に気づいたのは、ブルックナーとマーラーである。マーラー自身、ロット作品からの引用楽句を自作に挿入している。20世紀 を通してロットの作品はほとんど忘れられていたものの、1989年 に交響曲がシンシナティ・フィルハーモニー管弦楽団により初演され、その後ただちに録音された。その演奏・録音は、埋もれていた自筆譜を再発見したイギリス の音楽学者 ポール・バンクスによる、演奏用の校訂譜が用いられている。
現在そのほかにCDで聞くことの出来る作品は、序曲《ユリウス・カエサル》、序曲《ハムレット》、《牧歌風序曲》、《管弦楽のための前奏曲》、《弦楽のための交響曲》、《弦楽四重奏曲》の5つである。
《交響曲第1番ホ長調》の日本初演は、2004年 11月 に沼尻竜典 の指揮する日本フィルハーモニー交響楽団 によって実現した[1] 。
楽譜
リース&エルラーやドブリンガーなどの固有名詞は、出版社名を示している。
管絃楽曲
交響曲第1番ホ長調(交響曲断章つき) Sinfonier Nr.1 E-Dur: mit Sinfoniesatz E-Dur (1878) , Ries & Erler (2003年頃)
「ユリウス・カエサル」のための前奏曲 Ein Vorspiel zu 'Julius Caesar' (1877) , Doblinger (2003年頃)
ピアノ曲
アンダンティーノ ヘ長調 Andantino in F , Johannes Volker Schmidt
牧歌ニ長調 Idylle D-dur , Johannes Volker Schmidt
フーガ ハ長調 Fuga C-dur , Johannes Volker Schmidt
メヌエット変ニ長調 Menuett Des-dur , Frank Litterscheid
4手のためのフーガ ハ短調 Fuga c-Moll , Johannes Volker Schmidt
歌曲
ふたつの願い Zwei Wunsche (Sop./Ten., Piano) , Johannes Volker Schmidt
合唱曲
天にまします我らが父よ Pater noster (Bar., Str.) , Doblinger
Epigonen-Chor : für gemischeten Chör a cappella, Doblinger
エコー Das Echo : für gemischeten Chör a cappella, Doblinger
関連項目
脚注
注釈・出典
参考文献
Uwe Harten (Hrsg.): Hans Rott (1858-1884). Biographie, Briefe, Aufzeichnungen und Dokumente aus dem Nachlaß von Maja Loehr (1888-1964). Verlag der Österreichischen Akademie der Wissenschaften, Wien 2001, ISBN 3700129432
Heinz-Klaus Metzger, Rainer Riehn (Hrsg.): Hans Rott – Der Begründer der neuen Symphonie. Mit Beiträgen von Helmut Kreysing, Frank Litterscheid und Maja Loehr. Musik-Konzepte 103/104, München 1999, ISBN 3-88377-608-4
Helmuth Kreysing, Frank Litterscheid: Mehr als Mahlers Nullte! Der Einfluß der E-Dur-Sinfonie Hans Rotts auf Gustav Mahler. In: Heinz-Klaus Metzger, Rainer Riehn (Hrsg.): Gustav Mahler – Der unbekannte Bekannte , Musik-Konzepte 91, München 1996, S. 46 ff., ISBN 3-88377-521-5
外部リンク