形式としては、ジャコモ・マイアベーアの『ユグノー教徒』(1836年)を代表とするグランド・オペラの形式をとっているので、(1)5幕(または4幕)仕立て、(2)劇的な題材、(3)歴史的な興味を惹きつけ、(4)大合唱やバレエなどの多彩なスペクタクル要素、(5)異国情緒などの特徴を備えている。グランド・オペラとしては後期の作品となる。管弦楽について見ると、トマの音楽はとりわけ彼が主人公の不安な心情を探し求めつつシェイクスピアの原作に近づく時、台本より遥かに高い水準を示している。それは例えば、イングリッシュホルンの独奏によって始まる有名な〈生きるべきか、死ぬべきか〉の場面やハムレットと母の対決の場面などの美しく成功している場面などに見られる。ハミングの合唱は、オーケストラの中にサクソフォーンを導入していることと共に、大きな効果をもたらした、かなり革新的な試みである[1]。トマは、サクソフォーンをオペラに使用した最初の作曲家である[2]。トマは音色の響きに非常に感じやすい耳をもったオーケストラの大家であった。トマの、ことに木管楽器の音色に対する繊細な感覚は、一幕二場の城壁の場や四幕での農家の娘たちの踊りで示されている[3]。
声楽部分では、グランド・オペラやベルカント・オペラでは「狂乱の場」がヒロインのために設けられることが多いが、オフェリの〈遊びの仲間に入れて下さい〉はベッリーニの『清教徒』(1835年)のエルヴィラが歌う〈あなたの優しい声が〉とドニゼッティ作『ランメルモールのルチア』(1835年)でルチアが歌う〈苦しい涙を流せ〉と並ぶ三大「狂乱の場」となる[4]。異国情緒の点では、「北欧由来のメロディーが取り入れられている。それは第四幕のオフェリのもの悲しいバラード〈色白で金髪の“Pâle et blonde”〉。スウェーデン民謡の一節によるもの」[5]が巧みに使われている。
リブレット
リブレットはジュール・バルビエ(Jules Barbier)とミシェル・カレ(Michel Carré)によりフランス語で作成されている。シェイクスピアの原作からラストが大きく変更されており、オフェリの葬列でアムレがクロードを殺害してデンマーク王となることを宣言するところで終わっている。シェイクスピア劇の社会的受容状況の相違などから、初演時には大きな問題とならなかったが、時代を下るにつれて原作を冒涜していると言った批判が現れるようになった。なお、1869年の英国初演の際に、《ハムレットが死ぬ》結末の版が作曲され、これが使用された。一般的には、オペラ制作にあたって原作の筋立てが改変されるのは、音楽的制約や声域別の主要な歌手や合唱への楽曲の割り当てなどの都合からむしろ当然なのだが、この場合、原作の知名度が非常に高く、結末が異なっていたために影響が大きくなったものと思われる。加えて、この台本作家のコンビが作成したリブレットとシェイクスピアの原作との間にはアレクサンドル・デュマ・ペールとポール・ムーリス( Paul Meurice)が1847年に共訳した訳本が存在していることも指摘されている[6][7]。この台本作家のコンビは 1859年3月19日にパリのリリック座で初演されたグノー の『ファウスト』でも原作の大胆な改変を行っている。1868年のパリ・オペラ座における上演に際して、グノーは台詞を朗唱(レチタティーヴォ)に変更、バレエ音楽を追加し、グランド・オペラに改訂した。当初はドイツなどで原作に対する冒涜だといった非難を浴びた。しかし、結局これが現在上演され続ける成功作となっているという周知の事実が背景にあるものと見られる。オペラ研究家の岸純信は「父の敵を斃したとはいえ、不義の母は修道院に向かい、恋人オフェリは狂い死に、その兄ラエルトの憎しみを受けるアムレットには、もはや平安の時は訪れない。心の拠り所を全て失った彼は真の孤独を抱えつつこの先の人生を全うしなければならないのである。人々の歓声が盛大であればあるほど、王子の虚しさもいっそう鮮やかになる。それはまさに、オペラだからこそ描ける真実味。原作を超えるその無常観はいまも色褪せてはいない」と結んでいる[2]。
不気味で暗い序曲に続いて壮麗なファンファーレと入場行進で幕が開く。(この暗い序曲は、城壁の場への序奏として再び用いられる。)そこには人々が集まっており、2ヵ月前に逝去した前王の妃ジェルトリュードが、前王の弟で王位継承者となっているクロードと結婚し、再び王妃となることを祝っている。この場面はブラスの輝かしい咆哮と大合唱で歌われ、グランド・オペラらしい大変壮麗なシーンとなっている。王が現れ、デンマーク国民に対する忠誠を誓い、ジェルトリュードの頭に冠を置く。王妃は王子アムレが姿を見せないので心配する。戴冠式は無事に終了し、宮廷の人々は王、王妃と共に退場する。宮殿の奥からアムレが一人現れる。彼は父の死後僅か2ヵ月しか経っていないというのに母が叔父と結婚することに疑念と激しい嫌悪感を抱いている。そこに恋人オフェリが現れる。彼女はアムレを愛しており、彼が宮廷を去るつもりだという噂を聞いて胸を痛めていたのだった。オフェリはアムレの苦悩を和らげようと優しく慰めるのだった。(アムレとオフェリが初めて登場する場の音楽はハムレットが父親に復讐を誓う主題と同様に後の場面でも回想される。)アムレは彼女の純粋な愛に唯一の生きがいを感じ、オフェリへの永遠の愛を誓い、オフェリと共にデンマークを離れて遠くに行こうという。彼は今も変わらず愛していると言って彼女を安心させると言い、二人は晴れ晴れとした調子で恋人たちの二重唱〈光を疑うがいい“Doute de la lumière”〉を歌い上げる。(二重唱〈光を疑うがいい〉の旋律は、このオペラの重要な場面で何度か繰り返される。)すると、オフェリの兄ラエルトが現れ、王の命令で今夕にもノルウェーに向けて出発しなければならなくなったと告げ、妹のことをよろしく頼むとオフェリをアムレに託し、アリアを歌う。遠くから祝宴の始まる音が聞こえ、人々が現れ始める。オフェリはアムレを結婚披露宴に誘うが、彼は出席を断り、一緒に行かず、立ち去ってしまう。オフェリは祝宴に、ラエルトは旅へと向かう。宮廷の人々が現れ合唱が始まる。廷臣のマルセリュとオラシオが現れ、王子アムレはどこにいるかと尋ねる。人々がなぜ王子を捜すのかと問うと、2人は昨夜城壁の上で、先代の王の亡霊を見たのだと小声で言い、そのことを王子に告げなければと言い立ち去る。
オフェリは近頃アムレが全く自分に無関心で、殆ど彼女に声も掛けず、彼女をすっかり忘れたかのような様子なので、その不安に苛まれる心境を吐露して“Sa main depuis hier”を歌う。その心配を紛らわそうとオフェリは本を読み始める。アリア〈さらば、僕を信じて、と彼は言った〉。遠くにアムレの姿が見えるので、オフェリは側に来てくれるかと期待しながら、本を読み続けるが、彼はなんと姿を消してしまう。オフェリは恋人を失ったことを嘆き、長大なアリアを歌い終わる。そこに王妃が現れ、オフェリの悩む様子にどうしたのかと訊ねる。彼女はアムレがもはや自分を愛していないので、王宮を去り、どこか遠くに身を隠したいと言う。王妃はそのような軽率な行動はやめるよう諭す。実は自分も最近の王子の様子がおかしいのに気がついている。しかし、それを正気に戻せるのはオフェリの愛だけなので、王宮に留まるように説得する。オフェリは王妃の言葉に従うことを約束して立ち去る。
そこに王が登場し、アムレの不可解な行動を怪しみ、もしや真相を知ったのではないかと王妃と話す。そこヘアムレが来るので、王は話を中断する。アムレは王に王宮でパントマイムを上演してよいかと、許可を求める。王はそれを許可し王妃とともに立ち去る。そこヘマルセリュたちがコメディアンらの一座を連れて現れる。アムレは皆に酒を振る舞いシャンソン<酒は悲しみを忘れさす>で厭世的人生観と悲哀払拭を歌う。
バレエが終わると、白い服を着て、花冠をつけたオフェリが現れる。オフェリはアムレの狂気を装ううわべの肘鉄砲に悲嘆と絶望のあまり、精神が傷んでいる。彼女は歌う仲間に入れてと言って歌い出す。クライマックスの一つである狂乱のレシタティーヴォとバラードからなる〈私のお花を皆さんで分けて下さい〉を歌う。自分はアムレと結婚していると思っていて、放浪する男たちを誘い込む水の精の話を思い出す(“Pâle et blonde dort sous l’eau profonde”)。正気を失ったオフェリは小川の深みに落ち、水面には白い布だけが残る。