第3代マクルズフィールド伯爵トマス・パーカー(英: Thomas Parker, 3rd Earl of Macclesfield、1723年10月12日 - 1795年2月9日)は、イギリスの貴族。
1723年10月12日に初代マクルズフィールド伯爵トマス・パーカーの嫡子パーカー子爵ジョージ・パーカーの長男として、ロンドンのリンカーンズ・イン・フィールズにあった祖父の邸宅で生まれ、1723年12月19日にセント・ジャイルズ・イン・ザ・フィールズ教会で洗礼を受けた[1]。父親が第2代マクルズフィールド伯爵となった1732年から自身が襲爵する1764年までは「パーカー子爵(Viscount Parker)」の儀礼称号を称した。1740年にオックスフォード大学ハートフォード・カレッジへ入学し、1743年に学位(M.A.)を取得[1]。
1747年から1754年までスタッフォードシャー州ニューカッスル=アンダー=ライム選挙区選出の、翌1755年から1761年までオックスフォードシャー州選挙区選出の、1761年から爵位の相続によって貴族院に移る1764年までケント州ロチェスター選挙区選出の庶民院議員[2][3]。議会ではホイッグ党に所属。また1747年に王立協会フェローにも選出された[4]。
1749年12月12日にサー・ウィリアム・ヒースコート準男爵の娘であるメアリと結婚した。彼女は父方の従妹にあたり、間に第4代マクルズフィールド伯爵となったジョージや第5代マクルズフィールド伯爵となったトマスらをもうけた[1]。
1795年2月9日に死去し、オックスフォードシャー州のシャーバーンに葬られた[1]。爵位は長男のパーカー子爵ジョージが相続した。
出典
- ^ a b c d Cokayne, George Edward [in 英語] (1893). "MACCLESFIELD.". The Complete Peerage. Vol. 5 (1 ed.). London: George Bell & Sons. pp. 193–194. 2013年10月1日閲覧。
- ^ Cruickshanks, Eveline [in 英語] (1970). "PARKER, Thomas, Visct. Parker (1723-95).". In Sedgwick, Romney [in 英語] (ed.). The History of Parliament: the House of Commons 1715-1754. Boydell & Brewer. 2013年10月1日閲覧。
- ^ Brooke, John [in 英語] (1964). "PARKER, Thomas, Visct. Parker (1723-95).". In Namier, L.; Brooke, J. [in 英語] (eds.). The History of Parliament: the House of Commons 1754-1790. Boydell & Brewer. 2013年10月1日閲覧。
- ^ "Parker; Thomas (1723 - 1795); 3rd Earl of Macclesfield". Record (英語). The Royal Society. 2013年10月1日閲覧。
外部リンク