第11代ラウドン伯爵チャールズ・エドワード・ロードン=ヘイスティングズ(英語: Charles Edward Rawdon-Hastings, 11th Earl of Loudoun、出生名チャールズ・エドワード・アブニー=ヘイスティングズ(Charles Edward Abney-Hastings)、1855年1月5日 – 1920年5月17日)は、イギリスの貴族。
1920年5月17日に死去、ラウドン伯爵位は弟ポーリン・フランシス・カスバート(Paulyn Francis Cuthbert、1856年10月21日 – 1907年10月19日)の娘イーディス・モード(英語版)が、ドニントン男爵位は弟ギルバート・セオフィラス・クリフトンが継承し、ボトリー男爵位、ハンガーフォード男爵位、ド・モリンズ男爵位、ヘイスティングズ男爵位は弟ポーリン・フランシス・カスバートの娘3名(イーディス・モード、エリザベス・フランシス(英語版)、フローラ・アン)の間で停止状態になった[3]。3人は1920年12月17日に貴族院の議決により4男爵位と(ノッキンの)ストレンジ男爵位、スタンリー男爵位の共同相続人に認定された[3]。その後、これらの爵位の停止状態の一部が1921年2月23日に解消され、イーディス・モードがボトリー男爵、ヘイスティングズ男爵、スタンリー男爵を、エリザベス・フランシスがハンガーフォード男爵、ド・モリンズ男爵、ストレンジ男爵を継承した[3]。