ダニエル・マーティン(Daniel Martin、1986年8月20日 - )は、イングランド、バーミンガム出身で、アイルランドの自転車競技(ロードレース)選手。
経歴
父、ネイルも元プロロードレース選手。また、1987年のトリプルクラウン達成者であるステファン・ロッシュは、ネイルの義理の弟にあたり、
その息子ニコラス・ロッシュは従兄弟の関係にあたる。
2004年、英国の国内選手権・ジュニア部門ロードレースで優勝。
その後、アイルランドに移住し、国籍を得る。
2005年、アマチュアチームである、ヴェロ・クリュブ・ラ・ポム・マルセイユ[1](VC・ラ・ポム)に加入。
2008年、スリップストリーム・チポートレ(後の ガーミン・シャープ)と契約を結び、プロに転向。
2009年、ブエルタ・ア・エスパーニャ 初出場。総合53位。
2010年、ツール・ド・ポローニュ第4ステージを制して総合首位に立ち、最後は同2位のグレガ・ボレを8秒差下し総合優勝。
ジャパンカップサイクルロードレースでは、残りあと3周を通過した直後の上りでアタックをかけ、そのまま独走を決めて優勝。
2011年、ツール・ド・ポローニュ最終ステージでペーター・サガンに逆転され総合2位。
2013年、カタルーニャ一周第4ステージにて逃げ切り勝利[2]、そのままリーダージャージを守りきり総合優勝[3]。
リエージュ〜バストーニュ〜リエージュにてアイルランド人として24年ぶりの優勝を挙げた[4]。
2016年、エティックス・クイックステップに移籍。
2018年、UAE チーム・エミレーツに移籍。
2020年、イスラエル・スタートアップネイションに移籍。
2021年9月4日、イル・ロンバルディアを最後に現役引退することを発表した[5]。
主な戦績
2004年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2016年
2017年
2018年
2019年
2020年
2021年
エピソード
脚注
- ^ 別府史之も2002年から2003年まで在籍経験がある。
- ^ ボルタ・シクリスタ・ア・カタルーニャ2013第4ステージ首位バルベルデが落車リタイア マーティンが最難関ステージで逃げ切り
- ^ ボルタ・シクリスタ・ア・カタルーニャ2013第7ステージ デヘントが最終ステージ逃げ切り勝利 マーティンが総合優勝に輝く
- ^ リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ2013 ヘジダルの攻撃が奏功 マーティンがドワイエンヌを制し、ケリー以来のアイルランド人覇者に
- ^ マーティンが引退表明 ラストレースとしてイル・ロンバルディアに出場へ
- ^ Dan Martin gets Monumental win in Liège - PODIUMCAFE 2013年4月21日付
- ^ ルックスも重視 サガンはアルカンシェルのカモ柄、マーティンはパンダに四つ葉のクローバー - cyclist.sanspo.com 2016年7月29日付
外部リンク