タレス・トライジャ・ジ・ソウザ(Tales Tlaija de Souza, 1990年1月20日 - )は、ブラジル・リオデジャネイロ州ポルトアレグレ出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
経歴
SCインテルナシオナルの育成組織で育ち、2009年にトップチームに昇格した。ユース年代のブラジル代表として最多となる76試合に出場した[2](資料によっては74試合[3][1][4])。ブラジル代表として2005年に南米U-15選手権、2007年に南米U-17選手権、2009年に南米ユース選手権に優勝。2007年には2007 FIFA U-17ワールドカップに出場した[5]。タレスは彼の年代の選手の中では唯一、ユース年代のすべてのブラジル代表チームに招集された選手だった[6]。
2010年のプレシーズン、タレスはポルトガルのスポルティング・ブラガの練習に参加したが[7]、同クラブではプレーすることはなく[8]、9月3日にスポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガルへのレンタル移籍が発表された[9][10][11]。スポルティングでは2試合(UEFAヨーロッパリーグのレフスキ・ソフィア戦、リーグカップのエストリル戦)でベンチ入りしたが、いずれも出場はなかった[12][13][4]。 翌年、インテルナシオナルに復帰した[4]。
2012年、ASAに加入したが[14][15]、試合に出場することなくクラブを離れた[16]。タレスが起用されない理由について、ASAの会長は低調なパフォーマンスのためと説明した[17]。
所属クラブがない期間、タレスはトライアスロンのトレーニングを行っていた[18][19]。2013年1月、ポルトガルのGDジョアネ(ポルトガル語版)と契約し[20]、2012-13シーズンのポルトガル3部で12試合に出場した[4]。その後タイのスパンブリーFCでプレーした。
2014年、クウェートのアル・ヤルムークSC(英語版)と契約した[3]。2014年8月1日、FC大阪に完全移籍で加入した[1]。FC大阪ではリーグ戦1試合に出場したが、シーズン中に負った怪我からの復帰の目処が立たず、2015年1月22日に契約解除が発表された[21]。
サッカー選手を引退後、タレスは本格的にトライアスロンに打ち込むようになったが、股関節の負傷により断念を余儀なくされた[18]。
タイトル
- ブラジル代表
脚注