アバディーンシャーのPeterheadの書店主の家に生まれた。父親の兄弟も出版に携わっていた。1845年に父親、1850年に母親を失い、叔父に養育され、しばらく出版業を手伝ったが、自然科学への関心から医師になることを決意し、1861年にアバディーン大学に入学した。植物学者のジョージ・ディッキー(George Dickie)の教えを受け、1862年にディッキーの助手になった。1865年にM.Bを取得した。ウィリアム・ジャクソン・フッカーに海軍の軍医となって、各国の植物を収集することを薦められたが、インドに興味を持ち、1865年に募集が再開されたインド医療団(Indian Medical Service)に応募し、フッカーから託された南米原産のトコンを携えてインドに渡り、1866年4月にカルカッタに到着した。
1873年のカルカッタ動物園の創立に貢献し、ダージリンの植物園の設立準備にも貢献した。マラリアの治療薬となるキナノキの栽培に関する著書がある。ジョセフ・ダルトン・フッカーの著書『英領インドの植物』(Flora of British India)の出版に貢献した。1891年にインド植物調査局(Botanical Survey of India)の長官に就任し、インド農業・栽培協会(Agricultural and Horticultural Society of India)の会長を何度か務めた。1884年に法学博士(LL.D.)の学位を得て、1887年に王立協会の会員に選ばれた。カルカッタ植物園の紀要の刊行を始め、1901年に王立園芸協会からヴィクトリア名誉メダル、ロンドン・リンネ協会からリンネ・メダルを受賞した。キナノキの栽培の功績で、薬学協会の名誉会員に選ばれた。