エディンバラの出版業者の息子に生まれた。エディンバラの王立高校、セント・アンドルーズ大学、エディンバラ大学で学んだ。エディンバラ大学の学生の博物学のクラブ(プリニアン・クラブ)の有力なメンバーとなり、医師のウィリアム・A・F・ブラウン(William A. F. Browne)の勧めで博物学上の多くの議論に加わった。スコットランド教会の聖職となる目標から医師となることに転じ、海外で学んだ後、1834年にエディンバラで医師を開業した。
バルフォアの努力で、エディンバラ王立植物園は拡大、充実し、パームハウス、樹木園、教育用の宿泊施設が建設された。著書には植物学の教科書、"Manual of Botany" (1848)、"Class Book of Botany"" (1852)、"Outlines of Botany" (1854)、 "Elements of Botany for Schools" (1869)、"Botanist's Companion" (1860)、"Introduction to Palaeontological Botany" (1872)などがある。百科事典ブリタニカの8版の、植物学の項目を執筆した。