シンガポール川 (Singapore River )は、シンガポール を流れる代表的な川 である。この川は同国の南東側を非常に緩やかな流れで都心を貫き、陳氏宗祠 (Tan Si Chong Su Temple )、国会議事堂、マーライオン公園 (Merlion Park )などをクルージング にて見ることができる。
下流側沿いのボート・キー 及びクラーク・キー はレストランなどが集中する繁華街 として知られ、夜や週末には、観光客やビジネスマン及び若者で賑わう。またナイトクルーズは川沿いにコースが組まれており、マリーナ・ベイ・サンズ 付近の夜景が楽しめる観光船として知られる。
シンガポール川東側
歴史
1900年代のコリアー・キー(現在のマーライオン 付近)
1900年代のボート・キー
シンガポール川は元々海運の交易の中心地として栄え、周辺各国の船舶が数多く乗り込んだ。
シンガポールの貿易が盛んになるにつれて、下流のボート・キーから上流のクラーク・キー、さらにロバートソン・キーの開発へと進む[ 1] 。現在は観光地化され、東側のマリーナエリアではマリーナバラッジというダムに通じている。
ロバートソン・キー
元々は沼地だった地域を19世紀 中頃に埋立地とし、1880年 以降、東洋と西洋の建築様式を取り入れたさまざまな倉庫やショップハウスが建てられた。
地名は、当時の地区議会議員だったJ・マレイ・ロバートソン(J. Murray Robertson)氏にちなんでいる。現在は川沿いに高級コンドミニアム やレストラン、ホテルなどが軒を連ねている。レストランはチリクラブ で有名なレッド・ハウスやイタリアン、日本食、オーストラリア 料理、バー、カフェなど多岐にわたる。
クラーク・キー
名前は1873年 から1875年 にシンガポール総督を務めたアンドリュー・クラーク卿にちなむ。1860年代 にはすでに東側のボート・キーが手狭になったため、当時の華僑 商人やヨーロッパの会社はさらに上流のクラーク・キーに倉庫や工場を建設する必要に迫られた。19世紀中頃以前には英国植民地 政府の火薬や石炭の倉庫などがあり、井戸が近くにあったことから船舶への水の供給地でもあった。
2000年初期頃からレストランやパブ、ショッピングセンターが軒を連ねる歓楽街へと変貌した。逆バンジージャンプ など遊園設備やストリップ クラブなど多様な商業施設が並び、10月末にはハロウィン の仮装などのイベントも行われる。中央に歩行地兼用の噴水、南東側にクラークキー駅を擁する。
ボート・キー
沼地を1822年 に埋め立て、シンガポール川沿いのエリアで最初に開発されたボート・キー。かつては、パブリック・キー(Public Quay)と呼ばれ、貿易・商業の拠点として栄えた。今も荷下しに使われた船着場からの階段が川沿いに残っている。ちょうどシンガポール川が湾曲する場所に位置することから華人の間では「鯉の腹(The belly of the carp)」、すなわち幸運が宿るところとされた。
1989年 にボート・キーエリアは環境保護地区に指定され、東洋と西洋の文化が混合したユニークな建築様式のショップハウスは保全されることになった。これらの建物はパブやレストランとなり観光地化された今も当時の面影を伝えている。ボート・キーの東側はフラトン・ホテル に、南側は高層ビルが集中するラッフルズ・プレイス駅 界隈に面している。
ギャラリー
シティ東側夜景
クラーク・キー
夜間賑わうクラーク・キー周辺
ロバートソン・キー
ロバートソン・キーの夕暮れ
脚注
^ https://www.asiax.biz/life/10191/
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座標 : 北緯1度17分 東経103度51分 / 北緯1.283度 東経103.850度 / 1.283; 103.850