ザントハウゼン (ドイツ語 : Sandhausen ) はドイツ連邦共和国 バーデン=ヴュルテンベルク州 ライン=ネッカー郡 に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)。ハイデルベルク の南約8kmに位置する。
地理
位置
ザントハウゼンはライン=ネッカー大都市圏 に属し、ハルトヴァルトとクライヒガウ の間のオーバーライン地溝帯 内の低地に位置する。町内をハルトバッハ川、ライムバッハ川、あるいはその他の小川が流れ、町域の47%近くが森林である。町の南部には自然保護地域に指定されている砂丘 、ザントハウゼン砂丘がある。
隣接する市町村
北はハイデルベルクのキルヒハイム区、東はライメン のザンクト・イルゲン区、南はヴァルドルフ 、南西はライメンの無人の飛び地、西はオフタースハイム と境を接している。
自治体の構成
ザントハウゼンは、中核地区の他、南西部のザントホイザー・ホーフ、1928年に合併した北西部のブルーフハウゼンからなる。
歴史
ザントハウゼンは、1262年 に「Santhusen」として初めて文献に記録されている。名前は町内にある氷期 の砂丘に由来している。ローマ帝国時代 には既にロッホハイムと呼ばれる入植地がこの町の領域にあった。ザントハウゼンの西に城跡があるが、この城主は自由貴族のブルーフ家であった。後にブルーフ家は領主権を行使するようになった。オットー・フォン・ブルーフザールは1262年 にこのレーエン をライン宮中伯 ルートヴィヒ に委託した。
1351年 にプファルツ選帝侯 はザントハウゼンの領主権を購入し、この村をキヒハイマー・ツェント、その後オバーアムト・ハイデルベルクに編入した。1462年 のマインツ司教 領フェーデ 、三十年戦争 、プファルツ継承戦争 では1689年 にザントハウゼンは破壊された。フランス革命 後、大同盟戦争 の成り行きからザントハウゼンはバーデン 領となり、1803年 の帝国代表者会議主要決議 によりこれが確定した。
年
1727
1777
1818
1852
1905
1939
1961
1965
1970
1991
1995
2005
2010
2015
2017
2019
人口
293
620
1,075
1,693
3,556
4,820
7,871
8,925
10,207
13,331
13,702
14,274
14,542
14,902
15,024
15,175
行政
議会
ザントハウゼンの議会は22人の議員で構成されている。
首長
1954年 - 1981年: ヴァルター・ラインハルト
1981年 - 2005年: エーリヒ・ベルチュ
2005年 - : ゲオルク・クレッティ (CDU )
紋章
図柄: 左右二分割。向かって左は青と白の菱形格子で、これは旧領主のプファルツ選帝侯の紋章に由来する。向かって右は銀地に3本の広葉樹で、森の多いザントハウゼンのシンボルである。この紋章は1698年の印象に由来し、1900年にバーデンのゲネラルランデスアルヒーフの認可を得た。旗は、白 - 青である。[2]
友好都市
文化と見所
旧町役場
旧シナゴーグ
スポーツ
サッカークラブ SVザントハウゼン は、2008年/2009年のシーズンは3部リーグでプレイしている。
建築
町の中心に、レージュ・キャップ・フェレ広場があり、1909年に建設されたユーゲントシュティール 様式の学校が建っている。旧町役場は1742年から郷土博物館として使われている。
旧シナゴーグ は、1757年に改革派教会 の教会堂として建設された。この宗派が衰退した後ユダヤ教会 が購入し、シナゴーグとして利用した。1875年にユダヤ教徒の多くが移住したことなどで解散した後、この建物は現在文化的な催しに利用されている。
プロテスタント のキリスト教会は、ザントハウゼンの一番高い場所に建てられた1866年に完成した建物である。
カトリック の聖バルトロマイ教会の長堂 (ドイツ語版 ) は1767年の建築。翼廊 と鐘楼は1896年の拡張時に増築された。カトリックの主教会である三位一体教会は、1968年に近代的な様式で建設された。
経済と社会資本
経済
昔は、ザントハウゼンはホップ 栽培の町であった。現在では展示用の農場施設が一つあるだけで、毎年ここで採れたホップを用い、プランクシュタットのヴェルデ・ブロイがザントハウゼン・スペシャル・ビールを造っている。もう一つの重要な作物はタバコである。現在栽培されているのは、ブルーフハウゼンの外れにあるタバコ工場で用いるものである。
ザントハウゼン住民のほぼ89%がこの町の外にある職場で働いており、毎日通勤している。[3]
交通
ザントハウゼンの西を連邦アウトバーンA5号線、東側をA3号線が走っている。ザンクト・イルゲンには、ラインネッカーSバーン のザンクト・イルゲン/ザントハウゼン駅がある。ハイデルベルク、ライメン、ヴァルドルフへのバス路線もある。ザントハウゼンはライン=ネッカー交通連盟のサービス提供エリアに含まれている。
学校
通常の基礎課程学校、本課程学校、実業中学校の他に、フリードリヒ・エーバート・ギムナジウム 、ペスタロッツィ養護学校、音楽学校「ジュートリヘ・ベルクシュトラーセ」がある。
メディア
日刊紙としては、Rhein-Neckar-Zeitungがある。この他に地方紙のRheinNeckarWebやWochen-Kurierがある。
人物
出身者
マルクス・フリードリヒ・ヴェンデリン(1584年 - 1652年) 改革派の神学者 、教育者
エドムント・カウフマン(1893年 - 1953年)政治家
引用
参考文献
Staatl. Archivverwaltung Baden-Württemberg in Verbindung mit d. Städten u.d. Landkreisen Heidelberg u. Mannheim (Hg.): Die Stadt- und die Landkreise Heidelberg und Mannheim: Amtliche Kreisbeschreibung .
Bd 1: Allgemeiner Teil . Karlsruhe 1966
Bd 2: Die Stadt Heidelberg und die Gemeinden des Landkreises Heidelberg . Karlsruhe 1968
Erich Bertsch: Heimatbuch der Gemeinde Sandhausen . Sandhausen 1986, ISBN 3-920431-56-1
これらの文献は、翻訳元であるドイツ語版の参考文献として挙げられていたものであり、日本語版作成に際し直接参照してはおりません。
外部リンク
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