正書法の改革を巡ってルイ・メグレと論争を繰り広げた(当初はアナグラムによる変名グロマリス・デュ・ヴェズレ Glaumalis du Vezlet 名義)。二十歳前に上梓した『フランス古書法論 Traité de l’antique écriture de la langue française』(1548年)は、その論争の口火を切った書である。これに対しメグレは『擁護論 Défebses』(1550年)で反論した。デ・ゾーテルが『ルイ・メグレの猛烈な擁護への返答 Réplique aux furieuses défenses de Louis Meigret』(1551年)で応えると、メグレも『反駁 Réponse』(1551年)で再反論した。
デ・ゾーテルは、ほぼ同じ時期に詩人としても活動を始めている。処女作『皐月 Le mois de mai』は刊行年未詳だが、続く『大仕事の休息 Le repos du plus grand travail』は1550年に出されている。彼は多作であり、変わり種としては、ラブレーの『ガルガンチュワとパンタグリュエル』を模倣した風刺詩『ファンフルリュシュとゴーディション Fanfreluche et Gaudichon』(1559年)を刊行している。