『ウィリアム・テルの捕獲』 ロバート・ドッド画
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艦歴
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進水:
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1795年
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捕獲:
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1800年3月30日
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性能諸元
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排水量:
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1,800 t
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全長:
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59.3 m
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全幅:
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15.3 m
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喫水:
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7.8 m
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機関:
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帆走
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兵装:
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全80門
36 ポンド砲 30 門
24 ポンド砲 32 門
12 ポンド砲 18 門
他36 ポンド榴弾砲 4 門
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ギヨーム・テル(Guillaume Tell)[1]は、フランス海軍の80門トナン(Tonnant)級戦列艦。ナイルの海戦(1798年8月1日)において艦隊の壊滅から脱出したわずか2隻の戦列艦の1隻である。
ナイルの海戦の後、フリゲート戦隊の司令官であった海軍少将デニス・デクレは将旗をギヨーム・テルに移し、残存のフランス艦隊を率いてマルタに移動した。
1800年3月30日午後11時、デクレ少将座乗、ソルニエ艦長指揮のギヨーム・テルはトゥーロンに向けてマルタ港を出港した。ギヨーム・テルは午前11時55分にイギリス海軍のマルタ封鎖艦隊に発見され、12時30分から64門艦「ライオン」、36門フリゲート「ペネロピ」、80門艦「フードロイヤント」およびブリッグ「ヴィンセゴ(HMS Vincego)」(ジョージ・ロング艦長)と交戦した。戦闘が始まって9時間後、ギヨーム・テルはマストを打ち倒され、砲の半数が使用不能となり、また乗員200名が死傷するにいたってついに降伏した。
捕獲後、イギリス海軍に編入され「マルタ(HMS Malta)」と改名した。
注記
- ^ スイスの英雄ウィリアム・テルのフランス語読み
参加海戦
関連項目