南カリフォルニア大学の学生、アート・クローキーによって創られた。1950年代初めのアートが南カルフォルニア大学の映画学校(映画芸術学部)を卒業した直後から彼の妻ルース(旧姓:パーカンダー)と本格的な創作活動をスタートさせた。1953年に3分余りのショートアニメ『Gumbasia』が初めて作られた。ディズニー作品の『ファンタジア』のパロディー音楽に合わせて、粘土がシュールな挙動をしたり、広がる様な動きをするのが特徴的である[3]。この『Gumbasia』ではアートが在学中に学んだ「Kinesthetic Film Principles」(筋覚映画の原理)が取り入れられている。この手法は「massaging of the eye cells」(目の細胞のマッサージ)とも言われるもので、このカメラ動作や編集の手法は多くのガンビーの作品に見られる。
1955年、クローキーが映画プロデューサーのサム・エンゲル(英語版)に『Gumbasia』を披露すると、エンゲルはクローキーにもっと人形の数を増やして技術に磨きをかけるよう勧めた。その後、最初の作品と新たに制作された2つの作品を加えた3つのエピソードをNBCの子供向け番組『Howdy Doody』で放送するという話が持ち上がった。2番目のエピソード『Gumby Goes to the Moon』に対してNBCの幹部から放送に反対されるなどの出来事はあったものの、3つ目のエピソード『Robot Rumpus』が1956年8月に放送され、ガンビーのテレビデビューは成功に終わった。その後、1957年からガンビーとしての単独番組が放送されるようになった[4][5]。
2005年8月、ナムコからガンビー初のビデオゲームがゲームボーイアドバンス向けに発売された。内容は、ガンビーが、ブロックヘッズとその一味に捕らわれたポーキー、プリックル、グーの3人を救出するというものである。2005年の夏にはニューヨークで TheDeepArchives Animation (通称:TDA Animation)主催のイベントも催された。このイベントでは50年分あまりに及ぶ様々な小道具、ストーリーボード、台本などが展示され、そのほかにもガンビーが誕生してからの間に作られた玩具や、エディ・マーフィが『サタデー・ナイト・ライブ』の中で身につけたガンビーのコスチュームの複製品などの記念品が公開された。その中でも特に注目を集めたのは、テレビコマーシャル「Gumby vs. the Astrobots」で実際に使用されたセットであった。
カリフォルニア州サンフランシスコにある Studio Z でアート・クローキーも招いて「Gumby's 50th Birthday Party」(ガンビー誕生50周年記念パーティ)を開催した。パーティではケヴィン・ミーニー(英語版)によって招かれたバンドのスマッシュ・マウスやリモーター(英語版)が演奏を行った。このパーティとコメディの企画は、コメディ作家でステージディレクターでもあるマーティン・オルソン(英語版)とガンビーのクリエイティブ・ディレクター兼作曲者のロバート・F・トンプソン(英語版)によるもので、プロデュースは Miising Link Media Ventures および Clokey Productions。
2006年にはジョージア州アトランタにある人形芸術センター(英語版)において、これまでで最大規模のクローキーおよびガンビーに関する展示が行われた。"Gumby: Art Clokey – The First Fifty Years" と題されたこの催しでは、作家でアニメーターでもあるデイヴィッド・シェーヴ(英語版)が主事を務め、100体を超える人形や1980年代テレビシリーズのオリジナルのセット、そして1990年代の長編劇場版のフィルムが特に目玉となった。この展示会は2006年8月から2007年3月まで開催された。