エルト・エ・カッソ(伊: Erto e Casso)は、イタリア共和国フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州ポルデノーネ県にある、人口約400人の基礎自治体(コムーネ)。
地理
位置・広がり
ポルデノーネ県の西北部、ヴァイオント谷 (it:Valle del Vajont) に位置する。ベッルーノから北東へ約20km、県都ポルデノーネから北北西へ約41km、州都トリエステから北西へ約129kmの距離にある。
フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州の最西端であり、コムーネ西側の山々はヴェネト州との境界となっている。
隣接コムーネ
隣接するコムーネは以下の通り。BLはベッルーノ県(ヴェネト州)所属。
地勢
ヴァイオント谷を形成するヴァイオント川 (it:Vajont (torrente)) は、狭い峡谷を経て西のピアーヴェ川に注いでおり、この峡谷を堰きとめてヴァイオント・ダムが作られていた。ヴァイオント湖はダム湖の名残りである。谷は標高2000mを越える高山に囲まれており、東西に走る国道SS251が、東にサントズヴァルド峠(Passo di Sant'Osvaldo、827m)を越えてチモラーイス、西にピアーヴェ川沿いのロンガローネとを結んでいる。
気候分類・地震分類
エルト・エ・カッソにおけるイタリアの気候分類 (it) および度日は、zona F, 3757 GGである[4]。
また、イタリアの地震リスク階級 (it) では、zona 2 (sismicità media) に分類される[5]。
主要な集落
エルト・エ・カッソのコムーネはその名の通り、東部にあるエルト(Erto)と、西部にあるカッソ(Casso)という2つの分離集落(フラツィオーネ)からなる。二つの地区の中心集落はいずれもヴァイオント川の北側にあり、村の役場はエルトに置かれている。
エルトとカッソでは使われる言葉にも違いがあり、東のエルトではラディン語の方言が、西のカッソではベッルーノと同じヴェネト語の方言が話されていた。エルトは、現地エルトの方言では Nerto と呼ばれていた。カッソは、現地のカッソ方言では Cas と呼ばれるが、エルトの方言では Sciàs などの名で呼ばれ、古くは Chias などとも記録された[6]。
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災害を引き起こしたトック山の地滑り跡
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エルトの教会の鐘楼
歴史
近代まで
エルトにはローマ時代から人が暮らすようになったのが文書で確認でき、8世紀にはセスト・アル・レーゲナの領域に含まれた。カッソの集落ができたのはそれよりも新しく、11世紀のことである。
1950年代まで、この地の産業は伝統的な農業と、ささやかな交易によって成り立っていた。
ヴァイオント・ダム災害
1950年代の終わり、アドリア電力会社(SADE) (it:Società Adriatica di Elettricità) が、カッソの集落の下に巨大ダムを建設し、ヴァイオント谷を貯水池とする事業を行った。1960年、世界最大の高さ(堤高262m)を持つヴァイオント・ダムが竣工した。しかし、ダムの完成後しばしば地滑りが発生した。
1963年10月9日、集落の対岸にあるトック山 (it:Monte Toc) が大規模な地滑りを起こし、ダム湖に発生した津波が周辺の町や村を襲った。これにより、コムーネのダム湖南岸にあったピネダ(Pineda)、プラダ(Prada)、北岸にあったスペッセ(Spesse)、サン・マルティーノ(San Martino)などといった集落が破壊され、中心集落であるエルトとカッソの一部も打撃を受けた。ヴァイオントダム災害は、全体で2000人以上の犠牲が出たが、エルト・エ・カッソのコムーネは、347人の犠牲者を出した。
再建
災害発生後3日以内に、この村の人々は安全のために避難をし、ヴァイオント谷は3年間無人の谷となった。
この間、一部の村人はマニアーゴに定住した。ヴァイオント谷の人々が移り住んだこの地区は、1971年にヴァイオントという独立のコムーネになった。
残る人々は、避難から3年後、村への立ち入りが禁止されていたにもかかわらず帰還し、エルトとカッソの集落を復興した。1976年には、国家モニュメント(Monumento nazionale)として指定された。近年は "EcoMuseo Vajont: continuità di vita" を謳い、エコツーリズムの拠点となっている。
ジロ・デ・イタリア 2013では、ヴァイオントダムの事故から50周年を記念し、第11ステージのゴールにエルト・エ・カッソを、翌日の第12ステージのスタートにロンガローネを組み込んだ。
社会
人口
人口推移
人口推移 |
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年 | 人口 | ±% |
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1871 | 726 | — |
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1881 | 796 | +9.6% |
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1901 | 882 | +10.8% |
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1911 | 1,002 | +13.6% |
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1921 | 1,021 | +1.9% |
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1931 | 1,006 | −1.5% |
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1936 | 868 | −13.7% |
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1951 | 967 | +11.4% |
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1961 | 842 | −12.9% |
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1971 | 748 | −11.2% |
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1981 | 556 | −25.7% |
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1991 | 405 | −27.2% |
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2001 | 424 | +4.7% |
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2011 | 387 | −8.7% |
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居住地区別人口
国立統計研究所(ISTAT)によれば、2001年時点での居住地区(Località abitata)別の人口は以下の通り[2]。
地区名
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標高
|
人口
|
備考
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ERTO E CASSO |
610/2668 |
424 |
|
CASSO |
950 |
35 |
|
ERTO * |
830 |
341 |
|
Case Sparse |
- |
48 |
|
Lago del Vajont |
723 |
- |
人造湖
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Monte Borgà |
1400/2228 |
- |
非居住の山地
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Monte Duranno |
1600/2668 |
- |
非居住の山地
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Monte Toc |
1100/1938 |
- |
非居住の山地
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Vajont |
725/2460 |
- |
非居住の山地
|
- ISTATは人口統計上、家屋密度の高い centro abitato (居住の中心地区)、密度の低い nucleo abitato (居住の核となる地区)、まとまった居住地区を形成していない case sparse (散在家屋)の区分を用いている。上の表で地名がすべて大文字で示されているものが centro abitato である。「*」印が付されているのは、コムーネの役場・役所 la casa comunale の置かれている地区である。
交通
道路
- 国道
脚注
関連項目
外部リンク
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アヴィアーノ , アッツァーノ・デーチモ , アルバ , アンドレーイス , ヴァイオント , ヴァルヴァゾーネ・アルゼネ , ヴィート・ダージオ , ヴィヴァーロ , エルト・エ・カッソ , カーネヴァ , カヴァッソ・ヌオーヴォ , カザルサ・デッラ・デリーツィア , カステルノーヴォ・デル・フリーウリ , キオーンス , クラーウト , クラウツェット , コルデノンス , コルドヴァード , サチーレ , サン・ヴィート・アル・タリアメント , サン・クイリーノ , サン・ジョルジョ・デッラ・リキンヴェルダ , サン・マルティーノ・アル・タリアメント , スピリンベルゴ , セクアルス , セスト・アル・レーゲナ , ゾッポラ , チモラーイス , トラヴェージオ , トラモンティ・ディ・ソット , トラモンティ・ディ・ソプラ , パジアーノ・ディ・ポルデノーネ , バルチス , ピンツァーノ・アル・タリアメント , ファンナ , フィウーメ・ヴェーネト , フォンタナフレッダ , ブドーイア , プラータ・ディ・ポルデノーネ , プラヴィズドーミニ , フリザンコ , ブルニェーラ , ポルチェニーゴ , ポルチャ , ポルデノーネ , マニアーゴ , メドゥーノ , モルサーノ・アル・タリアメント , モンテレアーレ・ヴァルチェッリーナ , ロヴェレード・イン・ピアーノ
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