エスタディオ・ブリガディエル・ヘネラル・エスタニスラオ・ロペス
Estadio Brigadier General Estanislao López Brigadier General Estanislao López Stadium |
El Cementerio de Los Elefantes (象の墓場) |
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(2015年) |
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概要 |
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旧名称 |
- Estadio Eva Perón (1952–55)
- Estadio Centenario (1955–58)
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住所 |
サンタフェ アルゼンチン |
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所有者 |
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座席数 |
30,835 (2023年) |
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会場寸法 |
105 x 70m |
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ウェブサイト |
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clubcolon.com.ar/estadio |
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エスタディオ・ブリガディエル・ヘネラル・エスタニスラオ・ロペス(スペイン語:Estadio Brigadier General Estanislao López)は、アルゼンチンのサンタフェにあるサッカースタジアム(英語ではBrigadier General Estanislao López Stadiumという)。プロクラブ、CAコロンの本拠地である。愛称は「象の墓場」(El Cementerio de Los Elefantes、英語:The Elephants Cemetery)[1][2][3]。
概要
出典[4]
CAコロンが、このスタジアムでさまざまな強豪チームを倒したことから、「象の墓場」という愛称がついた[1][2]。
1964年5月10日、ペレが所属し インターコンチネンタルカップ2回優勝を誇り 34試合無敗の記録を持つ 強豪サントスFC(ブラジル)と対戦し、CAコロンは 2対1で勝利した[5][6]。
1967年にはCAペニャロール(ウルグアイ)に勝利[7]。さらに、ミジョナリオスFC(コロンビア)、クルブ・オリンピア(パラグアイ)、クルブ・ウニベルシダ・デ・チレ(チリ)、アリアンサ・リマ(ペルー)、アトレチコ・ミネイロ(ブラジル)に対して勝利するなど、1960年代には このスタジアムで43連勝という記録を誇った[8]。
2011年のコパ・アメリカの会場の1つとして使用した[6]。
2023年現在、30,835人の観客を収容可能[2]。
沿革
出典[4]
1939年、CAコロンはスタジアムを建設するために土地を取得。1946年7月9日にオープンし、ボカ・ジュニアーズとの親善試合に10,000人の観客が集まった。
1947年12月7日、元女優で大統領夫人となったエバ・ペロン(愛称:エビータ)が観戦のためにスタジアムを訪れたが、彼女の過密スケジュールに合わせたため、試合開始時刻が予定より1時間遅れ、日没により後半戦ができなくなった。
1948年、CAコロンがアルゼンチンサッカー協会に加盟した。それを支援した大統領夫人エバ・ペロンにちなんで、スタジアムは「エスタディオ・エバ・ペロン(Estadio Eva Perón)」と名付けられた[4]。
エバ・ペロンは、政府からの補助金を通じ、CAコロンへの資金援助を続け、1949年4月2日には照明が設置された。1950年にスタジアムに隣接する土地を取得し、スタンドの拡張を行った。さらに1952年、西側にセメントを使った観客席1,000人分のスタンドが完成し、収容人数は20,000人に増え、当時のサンタフェ市内では最大の収容人数のスタジアムとなった[8]。
1955年、ペロン政権下のアルゼンチン財政破綻などを背景に、軍部によるクーデターが発生。ペロン大統領は追放され、大統領夫人の名前をスタジアムで使用することも禁止された[4]。
1958年、スタジアムは現在の「エスタディオ・ブリガディエル・ヘネラル・エスタニスラオ・ロペス(Estadio Brigadier General Estanislao López)」に改められた[4]。 General Estanislao López(Estanislao López 将軍)は、1818年から1838年までサンタフェ州を統治した人物。
2008年、スタジアム内にLEDスコアボードを設置した[9]。
2009年、アルゼンチンで開催されるコパ・アメリカ2011の会場の1つとして使われることが決まり、同年、改修・拡張の工事が行われた[3]。
2024年9月、ザ・ラグビーチャンピオンシップ2024の会場の1つとして使用[10]。
主なスポーツイベント
2024年8月31日現在。
サッカー
ラグビー
関連項目
脚注
外部リンク