初代ウォートン侯爵・5代ウォートン男爵トマス・ウォートン
ウォートン男爵 (英語 : Baron Wharton )は、イングランド貴族 の男爵 位。
1545年 にトマス・ウォートン (英語版 ) が叙せられたのに始まる。5代男爵トマス・ウォートン はウォートン侯爵、6代男爵フィリップ・ウォートン はウォートン公爵に叙せられているが、1729年 に大逆罪 で爵位剥奪となった。後世に爵位回復し、女系継承が可能なウォートン男爵位のみウォートン家の女系子孫であるケメイーズ=タイント家、ついでロバートソン家に継承されて現在に至っている。
歴史
初代ウォートン公爵・6代ウォートン男爵フィリップ・ウォートン
1542年 のソルウェイ・モスの戦い で活躍したイングランド陸軍軍人トマス・ウォートン (英語版 ) (1495頃–1568) が1545年 1月30日 に叙されたのに始まる。後の貴族院の決定でウォートン男爵位は議会招集令状 (英語版 ) による爵位と認定されているが、実際には勅許状 によって創設された爵位だったと考えられている[ 1] [ 2] [ 3] 。
4代男爵フィリップ・ウォートン (英語版 ) (1613–1696) は厳格なカルヴァン派 プロテスタント としてピューリタン革命 の際に議会派として戦った。
その息子である5代男爵トマス・ウォートン (1648–1715) もカルヴァン派プロテスタントとしてホイッグ党 の政治家となり、ジェイムズ2世 のカトリック政策を批判し、名誉革命 でオラニエ公ウィレム(ウィリアム3世 )を支持した。名誉革命後にはホイッグ党幹部集団「ジャントー 」の指導者となった。爵位の面でも出世し、1706年 12月23日 にはイングランド貴族 爵位ウェストモーランド州におけるウォートンのウォートン伯爵 (Earl of Wharton, of Wharton in the County of Westmorland)とバッキンガム州におけるウィンチェンドンのウィンチェンドン子爵 (Viscount Winchendon, of Winchendon in the County of Buckingham)、1715年 2月15日 にはグレートブリテン貴族 爵位ウェストモーランドのウォートン侯爵 (Marquess of Wharton, in the County of Westmorland)とウィルトシャー州におけるマームズベリー侯爵 (Marquess of Malmesbury, in the County of Wiltshire)、1715年4月12日にアイルランド貴族 爵位キャザーロー侯爵 (Marquess of Catherlough)、ダブリン県におけるラスファーナム伯爵 (Earl of Rathfarnham, in the County of Dublin)、ミース県におけるトリム男爵 (Baron of Trim, in the County of Meath)に叙せられた[ 5] 。
その息子である2代ウォートン侯爵フィリップ・ウォートン (1698–1731) は、1718年 1月28日 にグレートブリテン貴族爵位ウォートン公爵 (Duke of Wharton)に叙せられた[ 6] 。しかし彼はジャコバイト となり、ウォルポール 政権に批判的な態度を取り、ついにはスペインへ亡命してスペイン王フェリペ5世 の要請で1727年 のジブラルタル包囲戦 (英語版 ) に参加した。この件は本国で問題視され、1729年 4月3日 の貴族院 決議により大逆罪 で有罪となった。これにより全爵位をはく奪された[ 7] [ 8] 。
1世紀後の1845年 5月3日 に女王座部裁判所の判決により彼の爵位剥奪は取り消された。これに基づき貴族院は議会招集令状による爵位(男子がなく女子のみある場合に姉妹間に優劣がない女系継承が可能。女子が複数あるときは保持者不在 (abeyance)となる)と認定したウォートン男爵位について、彼の死後、二人の妹の間で保持者不在(abeyance)になっており、1738年 に妹のうち一人が子供なく死去しているのでその時点でもう一人の妹ジェーン (英語版 ) が7代ウォートン女男爵位を継承していること、そして彼女が子供なく死去したことで4代男爵の3人の娘の家系の間で保持者不在 (abeyance)になっていることを確認した。さらに時代が下って1916年 2月15日 には保持者不在が解除され、4代男爵の娘メアリーの子孫であるチャールズ・ケミズ=ティント (英語版 ) が第8代ウォートン男爵に確定した[ 2] 。
8代男爵の唯一の男子であった9代男爵チャールズ・ケミズ=ティント (英語版 ) (1908–1969) には子供がなかったため、彼の死後、姉エリザベス (英語版 ) (1906–1974) が10代女男爵位を継承した。彼女はデイヴィッド・アーバスノットと結婚し、娘を二人儲けた[ 2] [ 9] 。
彼女の死後にウォートン男爵位は娘二人の間で保持者不在 となったが、1990年に解除されて長女マートル (英語版 ) (1934–2000) が11代女男爵となっている。また彼女はハリー・ロバートソン (英語版 ) と結婚してロバートソン姓となった[ 2] [ 10] 。
彼女の長男である12代ウォートン男爵マイルズ・ロバートソン(1964-) が2016年 現在の当主である[ 11] 。
一覧
ウォートン男爵 (1545年)
ウォートン侯 (1715年)
ウォートン公 (1718年)
初代ウォートン公フィリップ・ウォートン (1698–1731)
1729年に爵位剥奪。1845年に回復するが、ウォートン男爵以外は継承者なく廃絶。ウォートン男爵は保持者不在 (abeyance)。
ウォートン男爵 (1545年)
家系図
脚注
出典
^ "Wharton, Thomas (1495?-1568)" . Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co . 1885–1900.
^ a b c d Heraldic Media Limited. “Wharton, Baron (E, 1544/5) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2016年2月17日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Thomas Wharton, 1st Baron Wharton ” (英語). thepeerage.com . 2016年2月17日 閲覧。
^ Heraldic Media Limited. “Wharton, Marquess of (GB, 1715 - 1729) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2016年2月17日 閲覧。
^ Heraldic Media Limited. “Wharton, Duke of (GB, 1717/8 - 1729) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2016年2月15日 閲覧。
^ Seccombe, Thomas (1899). "Wharton, Philip (1698-1731)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 60. London: Smith, Elder & Co . pp. 157–161.
^ Lundy, Darryl. “Philip Wharton, 6th Baron Wharton ” (英語). thepeerage.com . 2016年2月15日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Dorothy Elizabeth Kemeys-Tynte, Baroness Wharton ” (英語). thepeerage.com . 2016年2月17日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Myrtle Olive Felix Arbuthnot, Baroness Wharton ” (英語). thepeerage.com . 2016年2月17日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Myles Christopher David Robertson, 12th Baron Wharton ” (英語). thepeerage.com . 2016年2月17日 閲覧。
参考文献
関連項目