ウィリアム・ロスコー(William Roscoe、1753年3月8日 – 1831年6月30日)はイギリスの銀行家、歴史家、作家である。ロレンツォ・デ・メディチの優れた伝記を書き、児童文学の分野では、息子のために書いた物語詩、『蝶の舞踏会とバッタの宴』("Butterfly's Ball, and the Grasshopper's Feast")が有名になった。
ロスコーの子供たちのうちウィリアム・スタンレー・ロスコーは詩人となり、トーマス・ロスコーはイタリア語の翻訳家となった。ヘンリーロスコーは法律の分野の著書があり、また父親の評伝を書いた。ヘンリーの妻のマリア・ロスコーは "Vittoria Colonna: Her Life and Times"の著者であり、彼らの子供に化学者のヘンリー・エンフィールド・ロスコーがいる。娘のメアリー・アン・ジェーヴォンは詩人であり、その息子のウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズは有名な経済学者となった[1] 。義理の娘のマーガレット・ロスコーは、ロスコーがリバプール植物園の植物の著作を出版した時、図版を描き、植物画家として知られるようになった[2]。