インテルレクス(ラテン語: Interrex、複数形: interreges)は、文字通り中間王(羅: inter reges)のことであり、王政並びに共和政ローマ時代に存在した、ごく短期間限定の摂政の一種である。
インテルレクスは恐らく初代ロームルス王の崩御に伴って作られ、その起源は伝説に包まれている。王政ローマの元老院は当初、新王を決められずにいた。ローマ存続のため、当時100人で構成されていた元老院は10人ずつのグループに分かれ、それぞれのグループから1人を任命して計10人の参事会を作り、1人ずつに次々と5日間交代でインテルレクスの地位を与えて法的権力を継承させた。新王が期限の50日以内に任命されなければ、また新たに同じ手順を踏んだ。彼らが権力を継承した空位期間が1年に及んだ後、ヌマ・ポンピリウスが新王として指名された[1]。
その後に続く王が崩御した際には、元老院によってインテルレクスが任命され、その任務は新王を選ぶためのクリア民会を召集することだった[2]。
共和政時代になるとインテルレクスは、内乱あるいは死去といった理由で執政官が任期を全う出来ない場合、新たに執政官を選出する民会召集のために任命された。それぞれのインテルレクスの任期は王政時代と同じく5日間であった。通例として、民会は最初のインテルレクスには召集されず、大抵の場合2人目か3人目のインテルレクスによって開催されたが、時には11人目や14人目の場合もあった。共和政最初の執政官は、ルクレティアの父スプリウス・ルクレティウス・トリキピティヌスによって召集された民会で選出された。共和政下のインテルレクスは、少なくとも紀元前482年までには元老院全体から選ばれるようになっており、王政時代のように限られた10人の中から選ばれるものではなくなっていた。しかし、プレブスからの選出はまだ許容されておらず、平民が元老院議員になれるようになっても、パトリキ出身の議員は平民出身者を排除して会合し選出していた。こうしたことから、インテルレクスが執政官選挙に及ぼす影響力についてはもちろん、その選出方法についても護民官の強い反対があったことが見て取れる。
紀元前4世紀中頃には徐々に独裁官が選挙のために任命されることが増えてきたものの、インテルレクスは第二次ポエニ戦争までは時折任命されていた。その後長く任命されることはなかったが、紀元前82年、ルキウス・コルネリウス・スッラの命によりルキウス・ウァレリウス・フラックスが指名され民会を開催、スッラが独裁官に選出された。紀元前55年にもインテルレクスによって民会が開かれ、グナエウス・ポンペイウスとマルクス・リキニウス・クラッススが執政官に選出された。紀元前53年と52年にも任命され、52年にはポンペイウスを単独執政官に選出した。
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