イナルチ(モンゴル語: Inalči、中国語: 亦納勒赤、生没年不詳)は、13世紀初頭にチンギス・カンに仕えたオイラト部族長クドカ・ベキの息子。『元朝秘史』などの漢文史料では亦納勒赤(yìnàlèchì)、『集史』などのペルシア語史料ではاینالجی(īnāljī)と記される。
概要
12世紀末から13世紀初頭にかけてオイラト部族長の地位にあったクドカ・ベキの息子として生まれ、兄弟にはトレルチ、オグルトトミシュらがいた[1]。
1208年、モンゴル高原北西部の「ホイン・イルゲン(森林の民)」の中で最も早くチンギス・カンに投降したクドカ・ベキはその功績を評価され、クドカ・ベキの子のトレルチがチンギス・カンの娘のチチェゲンを娶り、チンギス・カンの子のトルイがクドカ・ベキの娘のオグルトトミシュを娶る「交換婚」が計画された[2]。これ以後、クドカ・ベキ家はチンギス・カン家と密接な婚姻関係を結ぶ姻族として栄えていくことになる。
トルイ家と深い関係を築いたトレルチに対し、イナルチはチンギス・カンの長男のジョチの家系と深い関係を結んだ。ジョチの息子で、その後継者となったバトゥは自身の姉妹であるコルイ・エゲチをイナルチに与え、イナルチとコルイ・エゲチの間にはウルドという息子が生まれた[3]。
イナルチとトレルチがチンギス・カン家の女性を娶ったことは広く知られており、『元朝秘史』、『元史』、『集史』、『黄史(シラ・トージ)』といった諸史料に記録されているが、これらの史料の記述は相互に矛盾した内容を記載している。『集史』はイナルチがコルイ・エゲチを、トレルチがチチェゲンを娶ったとするが、『元朝秘史』はそれぞれの結婚相手を逆にし、『シラ・トージ』もこれを踏襲する。一方、『元史』はトレルチがチチェゲンを娶ったとする点で『集史』と一致するが、コルイを娶ったのは「カダ(哈答)駙馬」とし、イナルチの名を記さない[4]。
現在では『集史』の「イナルチとコルイ、トレルチとチチェゲンがそれぞれ結婚した」という記述が最も正しく、『元朝秘史』の記述が誤っていると考えられている。また、『元史』がコルイの結婚相手と記す「カダ(哈答)駙馬」はイナルチの別名ではないかと推測されている[5]。
子孫
『集史』「オイラト部族史」によると、イナルチとコルイの間にウルド(اولدو/ūldū)という息子が生まれ、ウルドにはニグベイ(نیكبی/nīkbei)とアク・テムル(اقو تیمور/āqū tīmūr)という二人の息子がいたという。
ニグベイとアク・テムルは祖母の実家たるジョチ家のコニチ(オルダ・ウルス当主)に仕えており、ジャライル軍の4千人隊を率いていた[6]。
オイラト部クドカ・ベキ王家
- クドカ・ベキ(Quduqa Beki >忽都合別乞/hūdōuhébiéqǐ,قوتوق بیكی/qūtūqa bīkī)…オイラト部の統治者で、チンギス・カンに降る
- イナルチ(Inalči >亦納勒赤/yìnàlèchì,اینالجی/īnāljī)…ジョチの娘のコルイ・エゲチを娶る
- ウルド(Uldu >اولدو/ūldū)
- ニグベイ(Nigübei >نیكبی/nīkbei)
- アク・テムル(Aq Temür >اقو تیمور/āqū tīmūr)
- トレルチ・キュレゲン(Törelči >脱劣勒赤/tuōlièlèchì,تورالجی كوركان/tūrāljī kūrkān)…チンギス・カンの娘のチチェゲンを娶る
- ブカ・テムル(Buqa Temür >بوكا تیمور/būqā tīmūr)
- チョバン・キュレゲン(Čoban >جوبان كوركان/jūban kūrkān)…アリクブケの娘のノムガンを娶る
- チャキル・キュレゲン(Čakir >جاقر كوركان/jāqir kūrkān)…フレグの娘のモングルゲンを娶る
- タラカイ・キュレゲン(Taraqai >ترقای كوركان/taraqāī kūrkān)…父のチャキルの死後、フレグの娘のモングルゲンをレビラト婚で娶った
- ノルン・カトン(Nölün qatun >نولون خاتون/nūlūn khātūn)…フレグの子のジョムクルに嫁ぐ
- ブルトア・キュレゲン(Burto'a >بورتوا/būrtūā)…名称は不明だが、チンギス・カン家の女性を娶る
- バルス・ブカ・キュレゲン(Bars buqa >بارس بوقا/bārs būqā)…トルイの娘のエルテムルを娶る
- ベクレミシュ・キュレゲン(Beklemiš >別吉里迷失/biéjílǐmíshī,بیكلمیش/bīklamīsh)…名称は不明だが、チンギス・カン家の女性を娶る
- シーラップ・キュレゲン(Širap >沙藍/shālán,شیراپ/shīrāp)…名称は不明だが、チンギス・カン家の女性を娶る
- エメゲン・カトン(Emegen qatun >امكان خاتون/āmkān khātūn)…アリクブケ家のメリク・テムルに嫁ぐ
- エルチクミシュ・カトン(Elčiqmiš qatun >یلجیقمیش خاتون/īljīqmīsh khātūn)…トルイ家のアリクブケに嫁ぐ
- クイク・カトン(Küik qatun >كویك خاتون/kūīk khātūn)…トルイ家のフレグに嫁ぐ
- オルガナ・カトン(Orγana qatun >اورقنه خاتون/ūrqana khātūn)…チャガタイ家のカラ・フレグに嫁ぐ
- クチュ・カトン(Küčü qatun >كوجو خاتون/kūjū khātūn)…ジョチ家のトクカンに嫁ぐ
- オルジェイ・カトン(Öiǰei qatun >اولجای خاتون/ūljāī khātūn)…トルイ家のフレグに嫁ぐ
- オグルトトミシュ(Oγul tutmiš >اوغول توتمیش/ūghūl tūtmīsh)…トルイ家のモンケ・カアンに嫁ぐ
延安公主
- コルイ・エゲチ公主(Qolui egeči >火魯/huŏlŭ,قولوی یکاجی/qūlūy īkājī)…ジョチの娘で、イナルチに嫁ぐ
- チチェゲン公主(Čičegen >闍闍干/shéshégàn,جیجاکان/jījākān)…チンギス・カンの娘で、トレルチに嫁ぐ
- トクトクイ公主(Toqtoqui >脱脱灰/tuōtuōhuī)…クビライ・カアンの孫娘で、トゥマンダルに嫁ぐ
- □□公主…名前や出自は伝わっていないが、ベクレミシュに嫁ぐ
- □□公主…名前や出自は伝わっていないが、シーラップに嫁ぐ
- 延安公主…名前や出自は伝わっていないが、延安王エブゲンに嫁ぐ
『元史』に記載のないクドカ・ベキ家に嫁いだチンギス・カン家の女性
- エルテムル(Eltemür >یلتمور/īltīmūr)…トルイの娘で、バルス・ブカに嫁ぐ
- モングルゲン(Möngülügen >منکولوقان/munkūlūkān)…フレグの娘で、チャキル、タラカイ父子に嫁ぐ
- ノムガン(Nomuγan >نوموغان/nūmūghān)…アリクブケの娘で、チョバンに嫁ぐ
脚注
- ^ 志茂2013,773頁
- ^ トレルチとチチェゲンの婚姻は当初の予定通り成立したものの、トルイとオグルトトミシュの婚姻はトルイが早世したため成立せず、代わりにトルイの長男のモンケがオグルトトミシュを娶ることになった。
- ^ 宇野1993,90頁
- ^ 村上1976,89/103頁
- ^ 岡田2010,361頁
- ^ 志茂2013,775頁
参考文献
- 宇野伸浩「チンギス・カン家の通婚関係の変遷」『東洋史研究』52号、1993年
- 宇野伸浩「チンギス・カン家の通婚関係に見られる対称的婚姻縁組」『国立民族学博物館研究報告別冊』20号、1999年
- 岡田英弘『モンゴル帝国から大清帝国へ』藤原書店、2010年
- 志茂碩敏『モンゴル帝国史研究 正篇』東京大学出版会、2013年
- 村上正二訳注『モンゴル秘史 1巻』平凡社、1970年
- 村上正二訳注『モンゴル秘史 3巻』平凡社、1976年