サン・カシャーノ・イン・ヴァル・ディ・ペーザのサンタンジェロ・ディ・ヴィーコ・ラバーテ教会に由来する《ヴィーコ・ラバーテの聖母(イタリア語: Madonna di Vico l'Abate)》(サン・カシャーノ美術館蔵)には1319年という制作年と署名が入っていることから、アンブロージョ・ロレンツェッティに帰属可能な最初期の作品の一つと見做されている。この板絵作品はドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャによる《マエスタ》や《聖母子》のような先行作品と大変異なる様相を呈しているため、兄ピエトロやシモーネ・マルティーニとは異なり、アンブロージョはドゥッチョの工房ではなく別の工房で修業したという推測までなされている程である。フィレンツェから比較的近い村で本作品が制作されたこと、また少なくとも1332年までアンブロージョがフィレンツェおよびその近郊で目撃されたという証言が残っていることから、アンブロージョ・ロレンツェッティはシエナ出身でありながらも、画家ジョットや彫刻家アルノルフォ・ディ・カンビオの周辺で修業した可能性があると推測されている。
いずれにしても、ジョット自身やジョットの弟子たちの様式からは明らかに隔たっており、フィレンツェ絵画とも異なるアンブロージョ・ロレンツェッティの絵画には、画業初期から強い独自性が見られる。
上述の《聖母子》に描かれた人物像の容貌は甘美さに欠け、アルノルフォ・ディ・カンビオの彫刻を思わせるような彫塑性、強壮さに特徴づけられている。聖母像はビザンチン美術のように正面観で、13世紀後半の絵画作品を思わせる。聖母が羽織るマントにはほとんど衣文が表されず、ほぼ単色で描かれている。顔は明暗法で描かれ、玉座は幾何学模様の入った簡素な木製の椅子である一方で、建築は最小限に抑えられている。
これが恐らく若い画家にとっての限界であったが、その後目もくらむほど進展を見せることになる。
この最初期の板絵作品には既に並外れた点が見られ、これは美術史におけるアンブロージョの最大の貢献の一つを先駆ける特徴の一つとなる。即ち、人物像を自然主義的に表す点である。聖母の手は、幼子を取り囲むというよりも、むしろ支えている。聖母は右手を幼いキリストの右足を支えるべく傾けている。両手の指は平衡ではなく、子供をうまく支えるように動いている。特に右手の人差し指は自然な動きをしており、このようなジェスチャーは、本作に先行する作品には描かれたことがない。幼子は聖母を見つめており、手首と左足は実際に子供が足を蹴る動きを模している。
アンブロージョがこの時期フィレンツェに滞在したことを裏付けるより確かな証言は、フィレンツェのサン・プロコロ教会に由来するサン・プロコロの祭壇画(イタリア語: Trittico di San Procolo)である。今日、本作品に書かれていた画家の著名と制作年1332年を判読することはできないが、数世紀にわたり、多くの人物がこれを目にしたという証言が残っている。近年ウフィツィ美術館において再構成されたこの三幅対祭壇画には、聖母子と聖ニコラ(左)、聖プロコロ、三幅板絵の上部に位置する尖塔装飾には救世主キリスト(中央)、聖書記者ヨハネ(左)、洗礼者ヨハネ(右)が表されている。
ヴィーコ・ラバーテ教会の《聖母子》と比較するならば、アンブロージョは本作品において長足の進歩を遂げていることが見て取れる。人物像は彫塑性を増し、洗練されて、繊細な明暗技法が用いられ、豊かな装飾性も見られることから、本作品をもってジョット派の絵画様式に接近したと言えるだろう。人物像の姿勢にはいまだ堅固さが残っており、この点が30年代初めのジョットによる人物像やシモーネ・マルティーニ、リッポ・メンミ(英語版)による人物像とは異なっている。