アンドレアス・ブトガ・クリステンセン(デンマーク語: Andreas Bødtker Christensen、1996年4月10日 - )は、デンマーク出身のサッカー選手。デンマーク代表。FCバルセロナ所属。ポジションはDF。
クラブ経歴
プロ入り前
リレレードで生まれた彼は、地元のブレンビーIFのユースに所属した。ここに8年間所属し、アーセナルFCやチェルシーFC、マンチェスター・シティFC、バイエルン・ミュンヘンといった一流クラブから興味を持たれた。2012年2月7日には自由契約でチェルシーFCに移籍、それはアンドレ・ビラス・ボアスが監督を務めていた最後の頃であった。チェルシーを選んだ理由として彼は「自分が好きなサッカーをしていたから」と答えている[3]。
2013年5月19日に行われた、2012-13シーズンの最終戦ではトップチームのメンバーに名を連ねたが、試合には出場出来なかった。この試合はラファエル・ベニテスの監督としての最終試合でもあり、エヴァートンFCを相手にしたホームゲームは2-1で勝利に終わった[4]。2013-14シーズンの前の米国へのツアーでは、トップチームのメンバーに名を連ね、それ以来プロ契約を結ぶ事となった[2]。
チェルシー
プロ初出場となったのは2014年10月28日に行われた、フットボールリーグカップ4回戦のシュルーズベリー・タウンFC戦であった。この試合で右サイドバックとしてスターティングメンバーに名を連ねた彼はフル出場し、クラブの2-1の勝利に貢献した[5]。その後、2015年1月24日まで出場機会はなく、この日もまた右サイドバックとしてブラッドフォード・シティAFCとのFAカップ戦での出場であった。この試合は2-4で敗北した[6]。
彼自身には出場の機会が無かったものの、チェルシーはトッテナム・ホットスパーFCを2-0で破り、フットボールリーグカップを制した。監督のジョゼ・モウリーニョは最終戦のMoMは誰かと問われた時に「シュルースベリー相手によくやったアンドレアス・クリステンセンだね。ジョン・テリー(実際のMoM)より素晴らしかったよ、何故なら我々はチームだからね。私は彼らを誇りに思うよ。」と述べた[7]。
2015年4月13日、チェルシーU-19で臨んだUEFAユースリーグの決勝戦、シャフタール・ドネツク戦ではオウンゴールを献上してしまったものの、最終的には3-2の勝利に終わった。プレミアリーグでの初出場となったのは5月24日のサンダーランドAFC戦で、ミケル・ジョン・オビとの交代で12分出場し、3-1でのホームでの勝利に貢献した[8]。彼は2014-15シーズンのリーグ戦ではこの1試合しか出場が無かったものの、モウリーニョ監督はシーズンでの貢献から彼に優勝のメダルを渡すと述べた[9]。
ボルシアMG
2015年7月10日にはチェルシーから1シーズンまたは2シーズンの長期契約でボルシア・メンヒェングラートバッハにレンタル移籍した[10][11]。ブンデスリーガでの初得点は10月25日に行われたシャルケ04戦でオウンゴールであったが、幸いな事にチームは3-1での勝利に終わった[12]。その後もレギュラーに定着し、クラブ最優秀選手に選ばれる活躍を見せた。クラブ側はこの貢献を評価し、1425万ポンドの完全移籍オファーを出したものの、ローン元であるチェルシーが拒否。しかしローンでもう1シーズンボルシアMGに留まることとなった[13]。
2016-17シーズンもCBの主力としての地位を守り、2シーズンでリーグ戦合計62試合に出場した。
チェルシー復帰
ドイツでの活躍により2017-18シーズンはローンバックされてチェルシーのトップチームの構想に含まれた。プレミアリーグ開幕節ではベンチスタートとなったもののケーヒルの退場もあり前半の早々に交代出場をすると、9月12日のカラバフFK戦に先発しチェルシーの選手としてCL初出場を果たした。
2017-18シーズンは監督のアントニオ・コンテがダヴィド・ルイスを冷遇した件もあり、27試合に出場した。しかし翌シーズンからマウリツィオ・サッリが監督に就任すると再びダヴィド・ルイスが用いられたため、移籍を志願したと報じられたこともあったが本人はこれを否定した[14]。
2019年8月3日、背番号を27番から4番に変更することが発表された。2020-21シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ決勝のマンチェスター・シティFC戦では、ベンチスタートとなるも、チアゴ・シウヴァの負傷により前半39分からプレー、シティの猛攻を凌ぎ切り、優勝に貢献した[15]。
2021-22シーズン、チームはFAカップ決勝に進出したが、決勝のメンバー入りから外れることを自ら希望してメンバー外となった[16]、チームはその試合でPK戦の末にリヴァプールFCに敗戦。ウクライナ侵攻の影響でプーチン大統領と友好な関係があったチェルシーのオーナー、アブラモビッチ氏の資産がイギリス政府によって凍結し、契約更新ができなくなった。同シーズン終了後に契約満了に伴い退団した[17]。
FCバルセロナ
2022年7月4日、FCバルセロナへの移籍が発表された。契約は2026年までの5年契約で、背番号は15番と発表された。契約解除金は5億ユーロである[18]。
代表経歴
2015年6月8日、ヴィボー・スタディオンで行われたモンテネグロとの親善試合で69分にピエール・エミール・ホイビュルクとの交代でデンマーク代表初出場となった[19]。2017年11月15日のアイルランドとの2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選プレーオフ2ndレグで同点弾となる代表初得点を挙げ、デンマークのワールドカップ出場権獲得に貢献した。
2021年、UEFA EURO 2020ではグループリーグ第3戦のロシア戦で79分にミドルシュートで前述のアイルランド戦以来となるゴールを挙げて勝利、逆転での決勝トーナメント進出に貢献した[20][21]。
2022年11月8日、カタールW杯に臨むメンバーの1人に選ばれ[22]、グループリーグ第2戦のフランス戦でコーナーキックから1-1の同点とするゴールを挙げたが、その後逆転を許して1-2で敗れた[23]。グループリーグ最終戦のオーストラリア戦で0-1と敗れたことでデンマークのグループステージ敗退が決定するが、クリステンセンは全3試合に先発フル出場を果たした[24]。
個人成績
クラブ
- 2022年11月8日現在
クラブ
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シーズン
|
リーグ
|
カップ
|
リーグカップ
|
国際大会
|
その他
|
通算
|
ディビジョン
|
出場
|
得点
|
出場
|
得点
|
出場
|
得点
|
出場
|
得点
|
出場
|
得点
|
出場
|
得点
|
チェルシー
|
2014-15 |
プレミアリーグ |
1 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
— |
3 |
0
|
2017-18 |
プレミアリーグ |
27 |
0 |
3 |
0 |
4 |
0 |
6 |
0 |
0 |
0 |
40 |
0
|
2018-19 |
プレミアリーグ |
8 |
0 |
2 |
0 |
4 |
0 |
15 |
0 |
0 |
0 |
29 |
0
|
2019-20 |
プレミアリーグ |
21 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0 |
1 |
0 |
28 |
0
|
2020-21 |
プレミアリーグ |
17 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
7 |
0 |
— |
27 |
0
|
2021-22 |
プレミアリーグ |
19 |
0 |
3 |
1 |
1 |
0 |
8 |
1 |
3 |
0 |
34 |
2
|
通算 |
93 |
0 |
14 |
1 |
10 |
0 |
40 |
1 |
4 |
0 |
161 |
2
|
ボルシアMG (loan)
|
2015-16 |
ブンデスリーガ |
31 |
3 |
3 |
0 |
— |
5 |
0 |
— |
39 |
3
|
2016-17 |
ブンデスリーガ |
31 |
2 |
3 |
0 |
— |
9 |
2 |
— |
43 |
4
|
通算 |
62 |
5 |
6 |
0 |
— |
14 |
2 |
— |
82 |
7
|
バルセロナ
|
2022-23 |
プリメーラ |
5 |
0 |
0 |
0 |
— |
3 |
0 |
0 |
0 |
8 |
0
|
総通算 |
160 |
5 |
20 |
1 |
10 |
0 |
57 |
3 |
4 |
0 |
251 |
9
|
代表
試合数
デンマーク代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
2015 |
2 |
0
|
2016 |
8 |
0
|
2017 |
4 |
1
|
2018 |
9 |
0
|
2019 |
8 |
0
|
2020 |
7 |
0
|
2021 |
16 |
1
|
2022 |
7 |
1
|
2023 |
3 |
0
|
通算
|
64 |
3
|
得点数
タイトル
クラブ
- チェルシーU-18
- チェルシー U-21
- チェルシー
- バルセロナ
個人
参考文献
外部リンク
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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