モールトンは第二次世界大戦中Bristol Aeroplane Companyで、軍用機用エンジンの設計に従事した。戦後、鉄道車両のサスペンション部品などのゴム部品を製造する家族経営の会社に入社。モールトンはそのゴムを自動車用のゴム製サスペンションシステムに応用することを思いつく。1950年にジョージ・スペンサー・モールトン・アンド・カンパニーをエイヴォン・タイヤに売却した後、新たにモールトン・デヴェロップメンツを興して友人のアレック・イシゴニスと共アルビス用サスペンションの開発を行うが製品化には至らなかった。その後イシゴニス設計によるBMC(British Motor Corporation)の歴史的名車ミニのサスペンション開発を行った。このサスペンションは自動車用のサスペンションとしては極めて珍しくラバーコーン(ゴム製部品)をバネに用いたものであった。その他、1958 年のオフロード車オースティン・ジプシー用の「フレキシター」ラバースプリングの設計や、オースティン・マキシ、オースティン・アレグロ、プリンセス、ローバー・メトロなどの後のブリティッシュ・レイランド車、そしてその後のローバー グループのMG Fスポーツカーで使用されるハイドロラスティックおよびハイドラガスサスペンション システムの改良などを行なった。
1956年のスエズ動乱以降石油資源の問題に関心を持つようになり[2]、1962年に「アレックス・モールトン・バイシクルズ(en:Moulton_Bicycle)」を設立して小径の高圧タイヤに独自のゴムサスペンションを持ち、ハンドルポスト・サドルポスト・メインフレームの形状からFフレームと呼ばれるフレームを持つ小径車「モールトン・バイシクル」を開発した。この自転車は世界初の小径車であり、世界初の本格的なフルサスペンションを持つ自転車でも有るとされる。モールトンは自社の自転車の特徴として、スカートを履いた女性でも跨ぐことができるユニセックスフレーム、荷物の積載性の高さ、分割して自動車に積め小径車なので保管スペースが少ない空間効率の高さ、小径車による乗り心地の悪化をサスペンションで補っていること等を挙げている。同社はイギリス第二位の自転車会社にまで成長したが、1960年代末には同社をラレー自転車(英語版)(英語: Raleigh Bicycle Company )に売却した。