アルフィーオ・コンティーニ(Alfio Contini, 1927年9月19日 - 2020年3月23日[1])は、イタリアの撮影監督である[2][3]。日本ではアルフィオ・コンティーニ[4]、アルフィオ・コンチーニ[5]等と表記されることもある。
来歴・人物
1927年(昭和2年)9月19日、トスカーナ州リヴォルノ県ロジニャーノ・マリッティモ市カスティリオンチェッロに生まれる[2]。
撮影監督マリオ・モントゥオーリに師事し、1952年(昭和27年)、アルベルト・ラットゥアーダが監督した映画『外套』で、モントゥオーリの助手としてクレジットされたのがもっとも古い記録である[2]。1955年(昭和30年)にはモントゥオーリのもとで撮影技師(カメラオペレーター)に昇進、1960年(昭和35年)には、セルジオ・グリエーコが監督した映画『タタールの女王』で撮影監督に昇進し、以降、撮影監督としての仕事を務める[2]。
1960年代前半には、イタリア式コメディの代表的な作品であるディーノ・リージ監督の『追い越し野郎』や『怪物たち』、あるいはルチオ・フルチ作品を多く手がけ、同後半から1970年代には、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ監督の『女性上位時代』や、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『砂丘』、カステラーノ=ピポロの監督作を手がけた[2]。
1981年(昭和56年)には、量産に拍車をかけたパスクァーレ・フェスタ・カンパニーレの監督作品『完璧な人などいない』から『トリエステから来た女』や『巧みな手』まで、2年間に6作を連続的に手がける[2]。
1996年(平成8年)、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『愛のめぐりあい』の撮影が評価され、ダヴィド・ディ・ドナテッロ賞最優秀撮影賞を受賞する[2]。2002年(平成14年)には、リリアーナ・カヴァーニ監督の『リプリーズ・ゲーム』を務めている[2]。
フィルモグラフィ
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
参考文献
関連事項
註
- ^ “Addio ad Alfio Contini, direttore della fotografia per Risi, Antonioni, Cavani, Fulci, Celentano” (イタリア語). spettacolo.eu. (2020年3月23日). https://www.spettacolo.eu/morto-direttore-della-fotografia-alfio-contini/ 2020年3月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Alfio Contini, インターネット・ムービー・データベース (英語), 2011年2月7日閲覧。
- ^ Alfio Contini, allmovie (英語), 2011年2月7日閲覧。
- ^ アルフィオ・コンティーニ、キネマ旬報映画データベース、2011年2月7日閲覧。
- ^ アルフィオ・コンチーニ] - allcinema ONLINE, 2011年2月7日閲覧。
- ^ Mario Montuori - IMDb(英語), 2011年2月7日閲覧。
外部リンク