カーマーゼン侯爵夫人アメリア・オズボーン(英語: Amelia Osborne, Marchioness of Carmarthen、1754年10月12日 - 1784年1月27日)は、イギリスの貴族。
生涯
第4代ホルダーネス伯爵ロバート・ダーシーとメアリー・ダブレット(英語版)(Mary Doublet、1801年10月13日没[1]、フランシス・ダブレットの娘)との長女として誕生した[2][3]。肖像画家フランソワ=ユベール・ドルーエ[註釈 1]は1764年頃に彼女を題材とする肖像画を手がけた[5]。1773年にリーズ公爵家嫡男のカーマーゼン侯爵(のち第5代リーズ公爵)と結婚した[2][3]。
1778年5月16日に父の死去に伴って、2つのイングランド男爵位(ネイスのダーシー男爵位及びコンヤーズ男爵位)を継承した[2]。同時にポルトガル貴族(英語版)爵位のメルトラ伯爵位(英語版)も併せて相続した。
その翌年の1779年5月の議会法に基づいて、カーマーゼン侯爵と離婚した[3]。その理由は、侯爵の不在時にグローヴナー・スクエアの自宅を訪ねたジョン・バイロン(英語版)(詩人バイロン卿の実父)と逢瀬を重ねたからといわれており[6][7]、アメリアはその年の6月にバイロンと再婚している[2][3]。
1784年に29歳で死去[8]、ホーンビー(Hornby)に埋葬された[3]。爵位は長男ジョージが継承した[3]。
家族
1773年11月29日にカーマーゼン侯爵フランシス・オズボーンと結婚して、二男一女をもうけた[2][3]。
1779年6月1日にジョン・バイロン(英語版)(詩人バイロン卿の実父)と再婚して、一女をもうけた[2][3]。
脚注
註釈
- ^ ロココ様式と新古典様式の過渡期に活躍したフランスの肖像画家。ルイ15世期の宮廷画家で、上流階級層を顧客としていた[4]。
出典
- ^ "Holderness, Earl of (E, 1682 - 1778)". Cracroft's Peerage (英語). 2020年7月21日閲覧。
- ^ a b c d e f "Darcy de Knayth, Baron (E, 1332)". Cracroft's Peerage (英語). 2020年7月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Cokayne, G. E., ed. (1889). Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct, or dormant (Bra to C) (英語). Vol. 2 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 349–350.
- ^ "François-Hubert Drouais (1727 - 1775) | National Gallery, London". www.nationalgallery.org.uk (英語). 2020年7月21日閲覧。
- ^ "Portrait of Lady Amelia Darcy". artnet (英語). 2020年7月21日閲覧。
- ^ Lawbook Exchange Ltd (1779). Trials for Adultery, Or, The History of Divorces (英語). The Lawbook Exchange, Ltd. pp. 10–. ISBN 978-1-58477-468-6。
- ^ George Gordon Byron, Baron Byron (2015). Byron's Letters and Journals: A New Selection (英語). Oxford University Press. ISBN 978-0-19-872255-7。
- ^ The International Monthly Magazine of Literature, Science, and Art. Stringer & Townsend. (1852). pp. 142–. https://books.google.com/books?id=_uMXAQAAIAAJ&pg=PA142