アブラハム・シュロンスキー(אברהם שלונסקי, Avraham (Abraham) Shlonsky, 1900年3月6日 ポルタヴァ県カリョーコフ Karyokov - 1973年5月18日 テルアビブ)はウクライナ出身のイスラエルの詩人・編集者・翻訳家。現代ヘブライ語詩の発展に貢献した。ラションスキー "Lashonsky" (ラーショーン lashon, loshen = 言語) というニックネームがあった。
ハシディズムの家系に生まれ、1913年(13歳)ヤッファのヘルツリヤ高等学校 Herzliya Hebrew High School で学ぶためテルアビブに帰還する。第一次世界大戦が勃発すると、ロシアに戻った。1919年新聞「Ha-Shiluah」に最初の詩を発表。ロシア、ポーランド各地を放浪し、1921年ハルーツィームのグループと共にイスラエルの地に永住。
「ダヴァル」「ハー=アーレツ」などイスラエルの主要新聞の編集に関わった。
シェイクスピア、プーシキン、ロマン・ロランなどの作品を翻訳した。
1967年、イスラエル政府からイスラエル賞(文化勲章に相当)を受けた。
作品
yed`ú kol ir, kol kfar vapélekh:
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ידעו כל עיר, כל כפר ופלך:
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reishít chokhmá - misím lamélekh!
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ראשית חוכמה - מסים למלך!
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misím, misím, ve`ód misím -
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מסים, מסים, ועוד מסים -
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veló chasím al hakisím!
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ולא חסים על הכיסים!
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(シュロンスキーの『ルンペルスティルスキン』より)
各村、都市、各地が知っていた:
興国の最初が-王様にの税金!
税金、税金、もっと税金、
ポケットを恵まず!
外部リンク
- "Avraham Shlonsky", capsule biography and bibliography at Institute for Translation of Hebrew Literature