アネット・メサジェ
アネット・メサジェ (Annette Messager 、1943年 11月30日 -)は、フランス の美術家 。雑誌 や刺繍 、ぬいぐるみ といった身近な小物を使った作品から機械仕掛けの大規模なインスタレーション まで手がけている。
経歴
1943年 、フランスのパ=ド=カレー県 のベルク・シュル・メール (英語版 ) という町に生まれる[ 1] 。建築家 の父が美術 に関心を持っていたため、教会などの建築 や芸術作品に触れる機会は多くアネット自身も興味を持っていたが、幼少期はダンス に没頭しておりその練習に明け暮れていた。
その後、14歳の頃からダンスの練習につらさを感じて絵画 に関心が移り、1962年 にはパリ国立装飾美術学校 に入学する。1965年 、在学中に獲得した写真コンクールの賞として世界一周 旅行券を入手し、日本 を含む様々な国を一人で旅して回った。また、1967年 にはジャン・デュビュッフェ のアウトサイダー・アート のコレクションの作品に感銘を受ける。
1968年 にはパリ で五月革命 を経験し、絵を描くことへの関心を失い始める。お金がなかったことや見方がかわったことからノート・布・新聞・毛糸など身の回りの日用品を使った小さな作品の制作をするようになった。ジェンダー を意識した作品が多くみられる。
さらに1980年代 に入ると空間的な広がりを持つ作品を多く発表するようになり、また1988年 からは動物のぬいぐるみ 等ソフト・スカルプチュア を作品に取り入れるようになる。1989年 には、初の回顧展がグルノーブル美術館 が開催された。
2000年代 頃からは動きのある作品がみられるようになる。2005年 にはヴェネツィア・ビエンナーレ のフランス館代表として参加し、金獅子賞を獲得した。
2008年 、森美術館 で日本初の個展が「アネット・メサジェ―聖と俗の使者たち」と題されて催された。
2016年、第28回高松宮殿下記念世界文化賞 (彫刻部門)を受賞[ 2] 。
FILAF (フランス語版 ) (2017)
作風
前述のように身近な小物を使った作品から大規模なインスタレーション まで手がけている。
アネット・メサジェの作品を見た人の感想は、「どれも可笑しい」というものと「どれも不気味だ」というものに二分されることが多いと本人がインタビューでこたえており、また作品には生と死が共存しているとも述べている[ 3] 。
また、後述の「hapy」のように言葉遊び を使った作品がみられるのも特徴である[ 4] 。森美術館で催された個展「アネット・メサジェ―聖と俗の使者たち」のもともとの英語のタイトルは「Annette Messager : The Messengers」であったが、これも本人の名前(Messager)を使者(Messengers)という意味で使った遊びであり、「キリスト教 での使者」と「アートの使者」の両方の意味がある[ 5] 。
作品の例
全108ページのアルバム の作品。結婚 を報じた新聞記事の切り抜きがたくさん収録されているが、見出しの女性の名前が全て「アネット・メサジェ」に置き換えられている。1970年 頃から新聞・雑誌の記事や写真を切り貼りした「アルバム・シリーズ」を制作しているが、その最初の作品。[ 6]
人体の一部や動物などの巨大なぬいぐるみが天井から吊るされ、それらが装置によってゆっくりと上下に揺れ動くさまを見せるインスタレーション。狂牛病 騒動に触発されて制作された[ 7] 。天井から物が吊り下げられている作品はそれまでにも発表していたが(「たよったり自立したり」など)、ドアを開けたときの勢いでたまたまそういった作品が揺れたのを見て、それをきっかけに作品に「動き」を取り入れるようになった[ 3] 。
第51回ヴェネツィア・ヴィエンナーレの出展作品。ピノッキオの冒険 の童話をモチーフにした、大規模なインスタレーション作品。巨大な赤い布が風になびく中、ときおり時計や光る海中生物などが垣間見える。これはピノキオの作品に登場するサメの体内を表している。[ 7]
美術家をカジノ へ行く人になぞらえる意味もこめて「カジノ」というタイトルがつけられた。ピノキオをモチーフとして取り上げたきっかけは、木の人形が人間になるという筋書きが、クローン技術 の発達した現代に通じるところがあると感じたからだという。[ 8]
言葉遊びの作品。黒いネットを使ってhapyという文字が描かれている。happyと表記するならpが2つ必要なはずだが、「美しくないし長すぎる」という理由でpは1つしかない。[ 8]
参考文献
脚注
外部リンク