アクチブハトリ[1]とは、南関東公営競馬の船橋競馬場に所属していた競走馬である。脚部不安と闘いながらも約2年半の間に10戦10勝の戦績を残した。「幻のダービー馬」とも呼ばれた[2]。
概要
1988年8月にデビュー[3]。500キログラムを超す大柄な馬体であったが爪が弱く[4]、しばしば休養した。重賞への出走はなかったが、のちにかしわ記念やダイオライト記念の勝ち馬となるフジノダンサーや埼玉新聞杯3連覇を記録するパワーデイクターを直接対決でまったく寄せ付けず圧倒している。あまりの強さに対戦を避ける馬が続出して出走を予定していた競走が不成立になったこともあった。
1991年4月23日、船橋競馬第6競走の房総特別で10連勝を達成[3]したあと、再度の休養に入る。同年12月28日、2日後に予定されていた復帰戦[2]に向けての調教を終え厩舎に帰る途中、心臓麻痺を起こして急死[2]し、無敗のまま競走生活を終えた。全戦単勝1番人気、2着馬につけた着差は合計47馬身に及んだ。出走した全レースで騎手を務めた石崎隆之は「重賞を勝てるだけの力のある馬だったのに」とその死を惜しむコメントを残している[4]。
競走成績
以下の内容はJBISサーチ[5]に基づく。
年月日 |
競馬場 |
競走名 |
格 |
距離(馬場) |
頭数 |
枠番 |
馬番 |
人気 |
着順 |
タイム |
着差 |
騎手 |
斤量 (kg) |
(2着馬)
|
1988.08.05
|
船橋
|
サラ系3歳ア新馬
|
|
ダ1000m(良)
|
5
|
5
|
5
|
1人
|
1着
|
1:02.1
|
-0.2
|
石崎隆之
|
53
|
(ヤマサンギヤル)
|
0000.08.28
|
船橋
|
サラ系3歳#
|
|
ダ1200m(良)
|
5
|
3
|
3
|
1人
|
1着
|
1:14.6
|
-1.3
|
石崎隆之
|
53
|
(フジノダンサー)
|
1990.01.31
|
船橋
|
大寒特別
|
|
ダ1600m(重)
|
12
|
8
|
12
|
1人
|
1着
|
1:44.7
|
-1.8
|
石崎隆之
|
55
|
(サマニクイン)
|
0000.03.26
|
船橋
|
サラ系一般
|
C2三
|
ダ1600m(良)
|
9
|
8
|
9
|
1人
|
1着
|
1:44.9
|
-0.8
|
石崎隆之
|
55
|
(レツドナイル)
|
0000.05.02
|
船橋
|
新緑特別
|
C1三
|
ダ1700m(良)
|
12
|
8
|
12
|
1人
|
1着
|
1:49.4
|
-1.5
|
石崎隆之
|
55
|
(アカネトウシヨウ)
|
0000.05.24
|
船橋
|
アザレア特別
|
B3三
|
ダ1700m(良)
|
9
|
8
|
9
|
1人
|
1着
|
1:49.9
|
-0.7
|
石崎隆之
|
54
|
(ジヨイナースキー)
|
0000.06.29
|
船橋
|
水無月特別
|
B2二
|
ダ1600m(良)
|
9
|
8
|
9
|
1人
|
1着
|
1:43.0
|
-1.0
|
石崎隆之
|
54
|
(パワーデイクター)
|
1991.01.29
|
船橋
|
むつき特別
|
B3二
|
ダ1700m(良)
|
12
|
8
|
12
|
1人
|
1着
|
1:51.2
|
-0.7
|
石崎隆之
|
55
|
(イシゲスキー)
|
0000.03.25
|
船橋
|
ブラッドストーン特別
|
B2二
|
ダ1800m(重)
|
8
|
8
|
8
|
1人
|
1着
|
1:56.6
|
-0.6
|
石崎隆之
|
56
|
(パシコソロン)
|
0000.04.23
|
船橋
|
房総特別
|
B1
|
ダ1700m(良)
|
5
|
5
|
5
|
1人
|
1着
|
1:48.1
|
-0.86
|
石崎隆之
|
55
|
(ゴールドクレーン)
|
血統表
脚注
関連項目
外部リンク